名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

本当に鍛錬していたのか、家老さん

元禄8年8月21日。
文左衛門の召仕由助の請人が近頃佐之右衛門のところへやって来て、切米(給料)を日割りで欲しいと言い出す。
そうでなければ由助を返すと言うので、文左衛門は源右を呼んで相談する。
覚右・久兵などと源右衛門は相談すると、請人は返すと言っているのだから、明日請人が来たら連れて来るよう言い渡すことで話がまとまる。
由助に暇を出した時の経緯もあるのでやりづらいと親類どもは言う。
申刻(午後3時)、文左衛門は忠兵へ行き、由助の処遇を伝える。
夜になって忠兵より人がやって来て、夜は用事があるので子細を知るため明朝来てほしいと言う。
柳生兵庫に永らく召し仕える家老が酒に酔って刀を抜いたところをもうひとりの家老が止めに入ると、怒って眉の上と肘を少し傷つけて逃げ去る。
別の話では、酔っぱらいなどではなく、前の夜から道具を片付けて準備をして、奥を目指して切り込んだと。
兵庫に対して恨みでもあったのか。
兵庫はどうしたのか出て行かず、下女に家老を呼びに行かせた。
この家老は兵法を鍛錬していたので生け捕りにしようと躍り出たが、予想外に眉の上を切られ、驚いて逃げようとすると追いかけられてまた切られた。
傷はいたって浅かったけれど、この者は気を失い、家老は逃げ去ったと。