名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-12-24から1日間の記事一覧

鉄砲の腕は上達してるようですね

元禄8年7月29日。快晴。文左衛門は作兵衛のところへ出かけ、帰ってから平兵下屋敷へ行く。60発ほど打ち、4割ほど当たる。(中略)文左衛門は由助に矢申し(弓を射る際の儀式)に行くと言いつけるが、寝ながら少し頭痛がすると言い返される。もっての…

人間関係は難しい

元禄8年7月28日。1日中、雲が乾(北西)へと流れ、東風が吹く。巳(午前9時)から午(午前11時)まで雨が降り、風も強く吹く。文左衛門は夕飯後覚右のところへ行く。そこから平兵下屋敷へ行く。夜また覚右のところへ行き、1晩中鉄砲の玉を鋳る。御…

雨が降ると火縄銃は打てない

元禄8年7月27日。文左衛門は申刻(午後3時)から平兵の下屋敷へ行く。雨が降り出し、日暮れに帰る。

少しは良くなっているようですね

元禄8年7月26日。夜、覚右衛門のところに七内と泊まる。覚右衛門は湯漬けを食べ、熱も下がる。しかし、大便の色は赤い。

このあたりの面倒見の良さも魅力

元禄8年7月25日。卯刻(午前5時)、覚右から大田元右へと向かう。大田什庵を覚右のところへ見舞うように頼む。昼前、什庵がやって来て脈を診る。

かなりひどい食あたり

元禄8年7月24日。この日覚右衛門は大便を18、9回もする。時々粥を少しずつ食べる。

この脈絡のなさが文左衛門さんの魅力

元禄8年7月23日。文左衛門は巳刻(午前9時)に助六と平右で行き会う。そこから作兵衛へ行き、鉄砲を10発打ち、1発当たる。母親の昨夜の夢が気になり、未刻(午後2時)過ぎに文左衛門が覚右のところへ行くと、覚右は昨夜の子刻(午後11時時)より…

終に弟子入りか、これほど当たらなくては

元禄8年7月22日。昨夜からの風が止まず、雨も降る。辰刻(午前7時)過ぎには雨が止むが、風が吹く。文左衛門は井上権左に頼み、水野作兵衛の弟子となる。この日巳刻(午前9時)に初めて伺う。誓いをたて、牛頭(守り札)に血判を押す。そして鉄砲を打…

7月21日の天気です

元禄8年7月21日。残暑厳しく、辰半点(午前8時)から雨が降る。昼過ぎには大雨となる。その後止み、晴れる。夜には曇る。戌刻(午後7時)から雨が降り出し、夜半から東風が激しくなり、暴風雨となる。

この家で何があったのか

元禄8年7月19日。文左衛門は昼過ぎから近所の者10人ばかりと鉄砲場へ出かける。小見当人魚(的の人形)などがある。夜、堀田平右衛門若党が腹を切り、鑓持ちも自害する。中間1人は下女3人と走り去ると。近頃、この春誕生の二の丸様の子が亡くなる。

本当の凝り性だな

元禄8年7月17日。晴。文左衛門は近所の者と平兵下屋敷へ鉄砲を打ちに行く。

何を書き残すのやら

元禄8年7月16日。晴。未半刻(午後2時)に急に雨が降り始めるが、その後止んで晴れる。往来では美人が多かった。夜更けに雨が降るが半時(1時間)程で止む。

7月15日の天気です

元禄8年7月15日。雨が降るが、辰刻(午前7時)に止む。

7月14日の天気です

元禄8年7月14日。戌刻(午後7時)からわずかな雨が降り、夜更けには大雨となる。

これも人の繋がり

元禄8年7月13日。真福寺で狂言が行われる。座本は和泉屋十三郎。ほかに南京からくりなども行われる。近頃、日用頭千竹家紋右衛門妻が妊娠したが、7月に食あたりで死んでしまう。この女は元々大殿様御寝所にも入ってので、三之丸様がとても悲しまれ、枇…

かなりの大漁だな

元禄8年7月12日。晴。未刻(午後1時)前、夕立があえい、その後晴れる。昼前から文左衛門は服部源兵・中村平右衛門と勝川へ鮎漁に出かけ、亥刻(午後9時)前に帰る。網を4度打ち、源兵衛は70匹ほど鮎を捕り、膾(刺身)にして食べる。文左衛門にも…

やっと当たった

元禄8年7月11日。朝、雨が降る。その後晴れる。昼から文左衛門は近くの友と平兵下屋敷へ行く。文左衛門は20発打って、6発当たる。

失礼しました、鉄砲って当たらないのですね

元禄8年7月10日。辰半点(午前8時)過ぎまで激しい雨が降る。かねてからこの日は矢田で仲間の者が鉄砲を撃つはずであった。留永兵右衛門殿が来られるはずなので、文左衛門も近所の衆と相談してでかけるつもりであった。しかし、雨が降っていたので油断…

結果を書いてないからまたダメだったのでしょう

元禄8年7月9日。寅半時(午前4時)から雨が降り出す。文左衛門は平兵下屋敷へ鉄砲を打ちに行く。

7月7日の天気です

元禄8年7月7日。申刻(午後3時)過ぎから雨が降り出す。

7月5日の天気です

元禄8年7月5日。曇。

7月4日の天気です

元禄8年7月4日。1日中雨が降る。夜になると大雨となるが、夜半には止む。

ヘタな鉄砲も数うちゃ当たると言うけれど

元禄8年7月3日。文左衛門は連れ数人と未刻(午後1時)から平兵下屋敷に鉄砲を打ちに行く。文左衛門は12発打つが、1発も当たらず。夕暮れ前から細かい雨が降り、夜更けには時々雨が降る。

へたくそだな

元禄8年7月1日。未刻(午後1時)前より曇り、時々細かい雨が降る。文左衛門は申刻(午後3時)から段之右・平左と渡辺平兵衛の下屋敷へ鉄砲を打ちに行く。文左衛門は5発打つが、1発も当たらず。