名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

人間関係は難しい

元禄8年7月28日。
1日中、雲が乾(北西)へと流れ、東風が吹く。
巳(午前9時)から午(午前11時)まで雨が降り、風も強く吹く。
文左衛門は夕飯後覚右のところへ行く。
そこから平兵下屋敷へ行く。
夜また覚右のところへ行き、1晩中鉄砲の玉を鋳る。
書院番頭山澄清左衛門が逼塞仰せ付けられ、小頭松井武兵衛は役儀を召し上げられ、120石から60石となる。
馬廻浜嶋宇右衛門もこのため御叱りにあうと。
これはこの春の御謡始の際、御書院番は出て道具を片付けることがあった。
山崎七右衛門が出るはずの時に、小頭武兵衛はほかの者を出させた。
七右衛門が怒って言うには、もうこんな役目には耐えられないので、願い出て返上すると。
この後も度々言っていたが、上へは申し上げなかったのでこの如くと。
七右衛門にはお咎めなし。