名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-30から1日間の記事一覧

脱走して溺れ死ぬとは

宝永3年6月29日。銀吹き直しの廻文が来る。文左衛門のこの夏の麦の値段は長良が1石2斗8升、野崎が1石2斗5升。免番値段(藩の公定価格)は1石2斗。近頃、なやうら(納屋裏)で密夫の罪で庄屋預りの男が番の目を盗んで逃げ出し、江川でおぼれて死…

本当はどうなの

宝永3年6月26日。近頃、七曲り児島一郎右衛門のところに強盗が入ったともっぱら噂になる。

仕事なのか接待なのか

宝永3年6月22日。未半(午後2時)過ぎから文左衛門は瀬左と八郎右へ出かける。笠原村と羽田川村百姓の山境絵図の決断(判断)を行う。老中の判5つの他に10の判や裏書を見る。酒などを頂く。少し前から開帳だったので志水観音へ出かけ、座敷に入って…

冷たい一言

宝永3年6月19日。近頃、200石下方左平の跡目が途絶え、屋敷も没収となる。願い出ることがあり、言上(目上の者に申し上げる)に及ぶと、屋敷を壊すので今日中に明け渡しようにと云々。源左衛門は初めのように書院番を勤める。

無理矢理男女の仲を裂こうとしてこうなったのか、そして勘違い殺人

宝永3年6月17日。未刻(午後1時)、恒河左五兵衛門外で相原政之右衛門召仕の覚内が切り殺される。相手は中条主水殿同心今泉新右衛門の若党伊藤作太夫という者であった。浜田宅左衛門のところへ立ち退く。政之右衛門頭への口上書には、昼頃新町へ小麦殻…

若宮祭ですか

宝永3年6月15日。申半(午後4時)過ぎから文左衛門は政右・甚五右と片端の川澄一郎右衛門の明(空)屋敷へ行き、物見から数千の人を見る。かつ酒などを呑み、戌(午後7時)頃帰る。

儲かりまっか

宝永3年6月13日。文左衛門は昼から曽右へいつもの頼母子会のため出かける。日が暮れて帰る。

久四郎の仲間はまだいたのか

宝永3年6月12日。この日から借用金を評定所で上田伴右衛門が渡す。73になる馬廻組近藤武兵衛が頭中村又蔵へ預けられる。小頭は三沢伝左衛門、山寺喜右衛門。同道するのは相組羽田野義兵衛・横井治兵衛・親類山崎伊之右衛門の3人。武兵衛の妻は長屋忠…

それぞれ理由があるけれど自殺はいかん

宝永3年6月11日。近頃、尾頭泰雲寺の小僧が自害する。みだらな行為に溺れてのことと。七ツ寺寺家一乗院の中間は貧しさのため自害を試みるが失敗する。

ありがたいお話が聞けました

宝永3年6月9日。巳刻(午前9時)、身延山の住僧日亨が大光寺へやって来る。先月、常紫衣を勅許される。10日朝、大光寺で説法し、たくさんの人が集まる。12日の朝、大光寺を発つ。

茶壷を敬うのも変じゃない

宝永3年6月3日。大樹の茶壷が清須で昼休み、その後鳴海に泊まられる。尾張藩主の茶壷は明後日到着する。

それぞれ悩みも違ったのだろうか

宝永3年6月2日。近頃、五条町の町人、みその(御園)町の少人(卑しい人物)、長者町・桜町を下った小桜町の菓子屋3人が自害する。それぞれに面識はなかったので書き記しておく。

江戸へ行けば何とかなるのか

宝永3年6月1日。73になる町医者那須心庵が江戸へ向かう。500両余りの借金があり、進退窮まってのことと云々。あわせていろいろな贅沢話などもある。

宝永3年6月の天気です

宝永3年6月1日。申(午後3時)前から夕立となり、ジメジメする。半時(1時間ほど)して止む。雷も少し轟く。宝永3年6月2日。晴。寅(午前3時)過ぎから雨が降り、風が吹く。明け方に止む。宝永3年6月4日。後に晴れる。宝永3年6月5日。晴。宝永…