名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

脱走して溺れ死ぬとは

宝永3年6月29日。
銀吹き直しの廻文が来る。
文左衛門のこの夏の麦の値段は長良が1石2斗8升、野崎が1石2斗5升。
免番値段(藩の公定価格)は1石2斗。
近頃、なやうら(納屋裏)で密夫の罪で庄屋預りの男が番の目を盗んで逃げ出し、江川でおぼれて死ぬ。
近頃の話では朝鮮人来朝者は太閤の代から7代まで約束であり、その後は来朝しないことになっていた。
このため宗対馬守と松平越中守を上使として朝鮮に遣わし、永年来朝することになったと云々。
作り話である
近頃の噂話。
出羽国由里というところのぬけぶみ(?)の郷大塚村に大庄屋横山文左衛門という者がいた。
去る酉年8月3日に病死した。
今年戌年3月3日に六郷伊賀守領で網にかかって上り、その報告があった。
魚の形をしており、鱗や尾鰭があった。
腹は蝮のようで頭と手は人の形をしていた。
長さは6尺(1尺は約30センチ)、横は2尺、背には横山文左衛門の文字があった。
その絵図が流行り、黒子のある図もあった。
これは昨年禅僧月堂がこの地にやって来て、法を伝えていった。
老いも若きも争うように金1分、2分あるいは鳥目500文、300文を差し出して横山に預け置いたが、それを横山は盗み取り、密かに1人100文として和尚に遣わした。
この因果と8、9月頃まで江戸で噂となった。
名古屋にも9、10月頃に噂になり、江戸でもこれが出版された。名古屋4月の祭礼で京町の練物(祭礼の行列)は金襴であったが、祢宜は来年から車に替えたいと願い出る。
作り物は小鍛冶狐の相槌。