名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-03-19から1日間の記事一覧

こりゃ大金が動きますよ

宝永5年7月29日。公儀御用の材木を請け負ったのは名古屋仙台屋孫三郎と南部屋善左衛門と申す者で、問屋は兵頭勘兵衛と云々。怪しいことがありこのような者がいるかと公儀から内密に名古屋の有司(役人)に尋ねらた。有司から話があり、町奉行が町中を詮…

職務怠慢となれ合いで処分

宝永5年7月27日。卯半(午前6時)から文左衛門は瀬左・八郎右と豊場へ漁に出かける。味鋺で弁当を食べ、文左衛門と加右衛門は網を打つ。加右衛門は鮒や鮠をたくさん捕る。瀬左は百姓紋七のところで休憩する。うどんを出し、鮠を汁にし、その他それぞれ…

話が見えてこない

宝永5年7月26日。伏見町下西側大久保勘之右衛門の乳母を武井四郎左衛門槍持が行って呼び出した。勘之右衛門の子どもを抱いてが、その子を置いてきてくれとのことで同僚の女に頼んでまたやって来た。槍持ちはこの乳母の夫であった。3、4歳の子を連れて来…

用心の越したことはない

宝永5年7月24日。この日の明け方、渡辺八郎右衛門は召仕を桑名へ遣わした。戻ろうとすると沖で大きな海鳴りがしたので船が出ず、25日に戻ってきた。

今年の能登の地震と同じように海底が隆起したのか

宝永5年7月23日。近頃、いつもより潮がはなはだ高いと云々。御材木奉行が言うには、近頃風雨のたびに高い潮が押し寄せると。このようなことは20年来覚えのないことと云々。大地震が原因かと。

言いたいことは言いましょう

宝永5年7月17日。善悪の批判をしないよう廻文がある。

責任は僧にある

宝永5年7月16日。鳥屋甚平が乱心する。僧がやって来て鳥商売を戒めたと云々。このためふと思い立ち、鳥を逃がしてわけのわからなことを話していた。ほかにも僧を夢に見たと。

久々に芝居の話題

宝永5年7月14日。大須で十三郎狂言が行われる。演目は源氏東鑑で、他に芝居がひとつ行われる。三国小大夫38才は軽業で手毬3つを片手で持って落とすこともなく、はなはだ名人だと。

乱心で片づけてるけどわけがありそう

宝永5年7月13日。今朝、大森寺の若党高松伝右衛門が乱心し、刀で腹を切り、その上喉を切ってしばらく生きていたが死んでしまう。伝右衛門は門前に家を持ち、妻子もいた。45才。

悪人だらけじゃないですか

宝永5年7月12日。近頃、榊の森の裏で3、4歳の子どもが足を縛られ、石を付け、顔に木綿をかけて殺して捨ててあった。日が経ってから近頃見つかった。詮議の後で捕らえられた者たち。里子殺しで愛智郡込野村休円の女房。少し前に里子を殺し、禅寺町の下へ…

娘のおかげで侍に取りたてられた

宝永5年7月10日。少し前、取売(古道具屋)文右衛門が犬山へ引っ越し、隼人正から居所を頂戴し、合力金(援助金)などを給わり諸士となる。これは文右衛門の娘が隼人正の妾で、少し前に女の子を産んだため。

あの物騒な書置のあった相応寺

宝永5年7月8日。住職がいない間の相応寺は足軽頭が守ることとなる。昼は足軽3人、夜は6人で30日交代で行う。初めは野呂瀬半右衛門、その次は平野甚右衛門が務める。

今ならまじかに見ることなんてできない品々

宝永5年7月7日。卯(午前5時)過ぎ、文左衛門は源蔵・藤内と上下を着用して熱田を参詣する。神主田島丹波仲頼は知り合いであったので神垣(神域)の中に入り、廻廊に座し、御饌(神様に献上する食事)が上るのを見る。五膳前。数十人の祢宜が冠、烏帽子…

1日中どこかでご馳走になっている

宝永5年7月6日。巳刻(午前9時)、文左衛門は弥左へ出かけ、酒などを頂き、それから政右と相応寺へ出かける。法輪院で吸物・酒・冷飯などを頂き、前島喜六に立ち寄り、また酒を頂く。2人ともとても酔ったので召仕を帰し、東矢場へ出かけて涼む。申刻(…

皆に慕われた僧ですね

宝永5年7月4日。想(総)見寺前住妙心三住白翁和尚が先月22日に濃州園城寺の別庵(隠遁後の住まい)で死ぬ。この日、想(総)見寺で一派の多くの僧で大法事を行う。

これも地震の影響なんでしょうか

宝永5年7月2日。熱田では高潮となる。船番所へ潮が流れ込み、熱田奉行は逃げ出そうとするほどの高潮であった。

宝永5年7月の地震です

宝永5年7月10日。未刻(午後1時)、大きな地鳴りがする。寅刻(午前3時)、少し地震がある。宝永5年7月12日。酉半(午後6時)、長く地鳴りがする。宝永5年7月13日。明け方前、少し地震がある。宝永5年7月20日。酉(午後5時)過ぎ、地鳴…

宝永5年7月の天気です

宝永5年7月1日。雨が降るが、辰(午前7時)から止む。巳(午前9時)過ぎから晴れる。今朝明け方前寅の刻(午前3時)、吉見兵部が御宮へ出仕すると埋門の扉の下から西へ水が滝のように流れ落ちていた。門内の水は膝が沈むぐらいあり、志水甲斐の辺りや…