名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

職務怠慢となれ合いで処分

宝永5年7月27日。
卯半(午前6時)から文左衛門は瀬左・八郎右と豊場へ漁に出かける。
味鋺で弁当を食べ、文左衛門と加右衛門は網を打つ。
加右衛門は鮒や鮠をたくさん捕る。
瀬左は百姓紋七のところで休憩する。
うどんを出し、鮠を汁にし、その他それぞれ弁当を開いた。
八郎右と文左衛門で100文を婆に取らせた。
惣庄屋善蔵がやって来たので酒を飲ませた。
常安寺へ出かけ、帳を開けさせ、100文を供えた。
中の釈迦よりも左右の阿難・迦葉は俗っぽくなく、目を驚かせた。
夕暮れに帰る。

100石の山城守代官中村藤右衛門・新野浅右衛門暇を出され、城下遠慮すべきと云々。
中村藤右衛門・新野浅右衛門へ申し渡しの覚え。
一 毎年検見に出かけた際は詳しく見分し、入念に処理し、帰れば念入りに話し合って免帳などを書き記すようにと申し付けているにもかかわらず、いいかげんな見分を行い、帰ってもなれ合いの取り決めを行っていると聞き及んでいる。庄屋その他の村小役人どもの行いもよくなく、平百姓も困っている村々もあるとのこと。そのようなところは見分を行い、早速庄屋・小役人を替え、村々のためになるようにするべきであるのに贔屓してその身分のままにし、庄屋その他は分不相応な贅沢をして、村を困窮させたと聞き及んでいる。
一 まずは郷目付者どもが立ち合った上で取り決めた判形を整えたにもかかわらず、長話し合い、取り決めた後にこれを除外するのは不誠実であるので、やってはいけないと察せられることは正しく執り行い、目付の者が好もうとよく相談すること。それを嫌がるのは不誠実であると考えること。
一 先ごろ役儀を取り上げた際、日ごろから勤務態度がよくないと聞き及んでおり、役儀を召し上げると言いつけられ際も、迷惑とは思わず、役を解かれたのはかたじけないと言って、役人のところへ礼にまわったと聞き及んでいる。非がないなどと外へ聞こえたのは上を憚らざる行いで不届き千万とお思いである。
この他にもよくない行いが多くあると聞き及び、はなはだ不快とお思いである。
詮議なされ厳しく仰せ付けられたが、いろいろとあるので暇を下されようにとの言いつけである。

白林寺住職のことは来月18日に江戸寺社奉行へ出向き、妙心寺塔頭京桂林寺目安の件について申し開きをするようにと云々。