名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-04-11から1日間の記事一覧

これは怒るのが普通でしょう

元禄12年8月29日。寅半(午前4時)に地震がある。近頃、出雲(松平義昌)様御家老稲葉弥右衛門が僕を手討ちにする。この前、弥右衛門の妻が16、7になる召仕の草履取と通じてしまう。夏頃、弥右衛門が外から帰るとこの僕の蚊帳の中から女房が裸で出…

生活が苦しいから法も守れなかったのでは

元禄12年8月27日。申刻(午後3時)、新番内藤浅右衛門組湯浅又兵衛が自害する。困窮し、士の法に背くことも多かった。

皆で喜びを分かち合いましょってことだな

元禄12年8月16日。月蝕7分半。切紙をもって申し入れる。殿様に今月13日4ツ時(午前10時)に御登城するようにとのことであったので、同日出雲守(松平義昌)様が同道して御登城なされ、御座の間において公方様(将軍)に御対面なされた。従三位中…

祭礼は中止ですか

元禄12年8月15日。八幡の祭礼は行われず。覚。一 諸事については公儀の御法度を守ること。一 御家中の諸法度、御定などは言いつけになられた通り、今後よく守ること。一 諸士御奉公は私心なく、御先代と変わらず勤めるように。諸奉行・諸役人については…

全然功徳なんてないじゃないですか

元禄12年8月6日。近頃、七ツ寺の塔の石礎を町人などがたくさん集まり、功徳のためにこれを築いていた。水主の者も1日築いていた。皆が弁当だ、幕だ、酒だと大騒ぎしていた。12、3日前に本町の下の紺屋が酔っぱらって礎を築いていた。すると柱の上か…

鴿矢って何でしょうね、矢であることは間違いないでしょうけど

元禄12年8月5日。近頃、御天守の掃除のため2重目の天井を取り外して見てみると、鴿矢が24,5俵ほど出てくる。以前、御天守の中に鴿矢が少しあったので何度か調べるが、詳しいことはわからなかった。この度、板を外してわかったことであり、昔から積…

元禄12年8月の天気です

元禄12年8月1日。蒸し暑い。元禄12年8月5日。曇時々晴。朝、風が少しの間吹き、雨はすぐに止む。元禄12年8月6日。晴。元禄12年8月7日。明け方、雨が降る。夜が明けるとすぐに止み、段々と晴れる。戌(午後7時)過ぎから雨が降る。時には一…

やはり喪に服すしていたから息がつまっていたのか

元禄12年7月25日。この日、内藤与右のところに目付が寄り合う。大酒を呑んで小唄など歌うと。その後五十人目付谷雲八のところと福冨伝右衛門のところで大酒を呑む。手拍子で丹波与作の小唄などを歌う。これが近所まで聞こえる。佐分氏が文左衛門に直接…

昔は遮るものもないし、暗いから近く見えるのかな

元禄12年7月23日。昼過ぎ、火事だと騒ぎがある。夜、百八里(やさと)の八上村で火が出る。火は近く、幅下あたりのように見える。名古屋から道程は八里(28キロ)あった。この日、誠公の49日が建中寺で行われる。二百部には物頭以上が出る。僧は2…

結局どうなったのであろう

元禄12年7月20日。玉置市正が病気で引きこもる。市正召仕の女2人が妖狐に憑かれたかのようにおかしなことを口走り、ののしり、わけのわからないことばかりを言う。そのため市正の心神もおかしくなってしまう。これは市正のために継母となった親久鑑の…

このタイミングでか

元禄12年7月18日。近頃、竹腰近江守組村井次郎太夫が乱心し、自滅(自害)する。

本当に様々な方が法事を行われる

元禄12年7月16日。67の御忌が梅昌院様・公の母公本寿院様(御部屋様のこと)、その他4人より建中寺で御法事が行われ、施餓鬼が4度行われる。1回ごとに供物などが替えられる。導師は相応寺で、御弓衆まで出る。

御礼は大切

元禄12年7月15日。大公より御家督の御礼に蜷川善左衛門、但馬守(松平友著)様から馬場八太夫が御老中まで遣わされる。

家中への家督相続のお披露目

元禄12年7月14日。御家督につき、今日中に月代を剃るよう彦兵から言い渡されてので、文左衛門や仲間は番所で月代を剃る。公が襲封(領地を受け継ぐ)の際、肥田孫左衛門を朝廷に遣わして拝謝の義がある。右兵衛督の号は大樹の命ではあるが、奏上するに…

正式に尾張藩を相続したことに

元禄12年7月11日。吉通公が御嗣封。

法事は何度も行われる

元禄12年7月9日。建中寺において津守(松平義行)様・出雲(松平義昌)様・但馬(松平友著)様からの御法事が1日行われる。ご一緒に二百部。この日、御家門様、御老中などからの使者が建中寺に到着する。

初めから金額を指定してもらえば悩まない

元禄12年7月5日。足軽以上は各香奠を差し上げ、建中寺本堂で御位牌を拝む。大公の衆も同様であった。奥番までも現れる。御老中は銀5枚。御礼劔以上は銀1枚、以下は金2分ずつ。

大事なお役目中になんてことだ

元禄12年7月3日。出雲守(松平義昌)様が尾州を出立する。その前に磯貝伝太夫が急いで御時分窺(日程調整)に出かける。御道中で出雲守様御目付冨永与七が痢病(赤痢)を患い、死んでしまう。

そりゃ、怒るでしょう

元禄12年7月2日。大樹寺に大公より銀200枚、右兵衛様より300枚、お付きの僧へ300枚が渡される。大樹寺は欲深い坊主だと。御香奠などを皆が欲しがると。大公の耳に入り、そのようなことを言うのであれば全部やってしまえと言われる。

文左衛門さんも働くんですね、3升とかが免番の取り分ですかね

元禄12年7月1日。枇杷島の水は4合5勺となる。文左衛門は卯(午前5時)過ぎから建中寺に巳刻(午前9時)まで詰めていたが、その間は風雨は激しかった。囲いなども吹き飛ばされる。今年の知行所の麦の値段.免番は1石1斗5升と替える。文左衛門は3升…

元禄12年7月の天気です

元禄12年7月1日。1日中激しい風と強い雨が続く。巳(午前9時)過ぎから風雨がとりわけ激しくなる。元禄12年7月2日。晴。元禄12年7月6日。ジメジメする。元禄12年7月20日。ジメジメする。元禄12年7月21日。午(午前11時)、空で雷…