名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

家中への家督相続のお披露目

元禄12年7月14日。
家督につき、今日中に月代を剃るよう彦兵から言い渡されてので、文左衛門や仲間は番所で月代を剃る。
公が襲封(領地を受け継ぐ)の際、肥田孫左衛門を朝廷に遣わして拝謝の義がある。
右兵衛督の号は大樹の命ではあるが、奏上するには及ばないので得(徳)川吉通とのみ申し上げる。
朝政の正しさは末の世と言ってもこのようである。
廻状がある。
去る11日、殿様のところへ上使戸田山城守殿・土屋相模守殿がやって来られた。
家督の相続をお言いつけになられたので、両人から上意の内容を殿様に申し上げる。
摂津守様(松平義行)・出雲守様(松平義昌)も付き添い、御諚(仰せ)を御請けなられる。
上使が退出の後、摂津守様を同道し、艮刻(午前3時)に御礼のため登城し、御座の間で対顔し、心のこもった上意を大変喜ばれる。
御帰りになられ、様々な御礼がある。
相模守殿へ仰せが伝えられ、御城より直ちに帰られる。
ますます御機嫌であられた。
御老中その他へは摂津守様が御名代で廻られた。
上々様方も大変喜ばれておられた。
このことを御家中の輩に申し聞かせるようにと江戸から申してきたので。御支配の衆へ申し聞かせるように。
以上。
7月14日。
冨永内左衛門。
両城代殿。
切紙を以って申し入れる。
殿様へ御家督が去る11日にお言いつけになられた。
穏便はこれまでとし、この日からいつも通りと心得るように。
音曲、鳴物、遊行は24日までの御中陰(49日)までは遠慮するようとのお考えを御老中に伝えられた。
その意を心得るように。
以上。
7月14日。
熊沢与三兵衛。
両城代殿。
それに加えてこのことを同心衆ならびに御足軽その他支配の方へも申し渡すように。
かつまた御家中の輩は月代を剃ることになるので心得ているように。
御覧になれば納所より御城へ御戻すように。
以上。