名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-04-10から1日間の記事一覧

こういう時こそ綱紀粛正なのか

元禄12年6月30日。この日から物売りは元の通り呼び声をあげながら商いを始める。26日から許されていたが、侍の住む町にはこの日からやって来たのか。触。下々いいかげんな噂話をしないように申し付けることを御年寄衆は申し聞かされている。下々いい…

こりゃ異常だ

元禄12年6月28日。甚目寺から半里(約2キロ)ほど西までで氷が降る。大きさは豆ぐらいで、畠が作物が倒れてしまう。清須のあたりでも雷雨が激しく、強風が吹く。並木が折れ、家が倒れる。死んだ者もいる。中切の庄屋が雷に打たれて死ぬ。その他に打た…

今度は法事が始まります

元禄12年6月27日。建中寺において千五百部、千部は大公、五百部は兵衛様。僧には下行(下賜)があり、下行の御布施は12の巻物が添えられる。導師は三河大樹寺。近頃、御黒門足軽頭の中西甚五兵衛が迎えに行く。

火の元には気をつけろよ

元禄12年6月26日。午刻(午前11時)少し過ぎ、杉ノ町通鍛冶屋町と大津町の間で鍛冶屋から火が出そうになる。ちょうど上使が本町へ行く時間であった。

大公様は忌明け、でも法事は続く

元禄12年6月25日。この夜戌(午後8時)から町にて人を送る。大公は忌明け。大公の御家中は月額を剃る。一筆申し入れる。泰心院様御法事が建中寺において明後日27日より来月2日まで行われる。大殿様、右兵衛督様から仰せ付けられた御寺へ各詰めるよ…

当日を迎えました

元禄12年6月24日。巳刻(午前9時)、御葬送が行われる。成瀬綾部が御位牌を持つ。土屋庄左衛門・千村数馬は断りを入れて御寺でこの日落髪する。源五右衛門は御触れ前に剃髪する。

念には念を

元禄12年6月23日。廻状が来る。切紙を以って申し入れる。明日24日、殿様の御遺体が御葬送となるので、穏便の間ではあるが、なおさら明日中は諸事謹み、火の元は念入りにするよう下々に至るまで強く申し付ける。このことは御老中から伝えられたことな…

こんな時期だからそりゃそうでしょう

元禄12年6月22日。近頃、若林元右衛門長屋が放火される。燃えないうちに見つかる。近頃、町へはいいかげんな噂話などしないように言いつけがある。

やっと名古屋に棺が到着

元禄6年6月21日。午8刻(午後1時前)、霊柩が建中寺に到着される。昨夜は土田にお泊り、白板で手輿のように作られ、長さは6尺(1尺は約30センチ)ほど。

また指示が来ました

元禄12年6月20日。切紙を以って申し上げる。殿様御遺体は木曽路を御登り遊ばされ、明日21日に建中寺に入られるので、御寺へ召し連れる従者は少なくするように。ならびに御棺が着く際には支配の衆は御寺前、同心中明組同心中は杉ノ町東の小路・主税筋…

物持ちだなあ

元禄12年6月18日。二の丸様は公の下屋敷に移られる。その時の100個の長持ちを運び込む。

こういうことはダメだと触が出てるでしょう

元禄12年6月14日。夜、長者町で放火があり、2,3尺(1尺は約30センチ)燃え上がる。初めに見つけた者をまず牢に入れる。近頃、馬場三右衛門の足軽が自害する。足軽の女房は弓場の萩右衛門のところに奉公していた。近頃会いに来て喧嘩となったので…

大事な指示は何度でも

元禄12年6月13日。大公御介抱のため、但馬守(松平友著)に御暇を奨められる。切紙を以って申し入れる。この時期、喧嘩口論はもちろん騒ぎなどを起こさず、諸事謹むようにと江戸から申し来ていると御老中が伝えてきたので、その意を心得るように。以上…

正直に知らなかったと謝ったのだから許してあげたら

元禄12年6月12日。この夜から両御城代衆が代わる代わる御城に泊まる。昨日までは昼の間は2度ずつ登城していた。泊まるのは初めてで、この夜から。小頭も昼夜西鉄門に代わる代わる詰める。御本丸・御深井丸番所へは日に2度ずつ見廻りに出る。この日か…

殉死はいかんと言ってるでしょう

元禄12年6月12日。昨夜、阿部縫殿が木曽路を急いで下る。大公よりの霊柩の御迎えのため。下諏訪で謁する。近頃、御逝去を聞いて、公の下屋敷の女が友の女を突き殺して自害すると。詳しくはわからず。

藩が混乱しないよう、動揺しないよう色々と指示がある

元禄12年6月10日。御城では半蔵から物頭に言い渡しがある。触がある。ただし、同心にはなく、御直衆だけに。殿様御逝去に付き、御家中の輩は身分にかかわらず、右兵衛督様へ御奉公するようにとの考えは少しも変わらないので、そのように勤めるように。…

やっと名古屋へも殿の逝去が伝わった

元禄12年6月9日。この日から商いは禁止となる。町ではを下し、ものさびしくなる。殿様は近頃色々と体の調子が思わしくなく、養生をなされていたがその効果もなく去る5日未下刻(午後3時)に逝去なされた。このことを御家中の輩に知らせるよう江戸から…

息子に先立たれるのは親にとって一番つらいこと

元禄12年6月8日。公逝去の報が出雲守(松平義昌)のところへ届く。今朝、出雲守様は早駕籠で大公の下屋敷に入られる。御乗物に縄を付けて引いたというのは嘘であり、あまりの速さにそう言ったのであろう。江戸からの状を市正に渡し、市正が御前に持参し…

もう遅いのだけれど

元禄12年6月7日。公の病気のため、申刻(午後3時)大公の医者楠道二・八尾賢叔と三の丸様の医者水野寿見が急いで江戸へと下る。

まだ亡くなったことは届いていない

元禄12年6月6日。夜、公が御病気だと告げてくる。腹痛だと。

殿様が亡くなった

元禄12年6月5日。公が江戸市谷の屋敷で逝去なさる。お年48の辰年。この日、熱田の海に空穂船(うつろぶね・伝承で伝わる架空の船)が着く。近頃、伊勢にあったのが流れ来たと。窓があり、ビードロが張られていた。中にはとても美しい宮女がいた。その…

元禄12年6月の天気です

元禄12年6月1日。激しい雨が降る。巳(午前9時)過ぎると小降りとなる。未半(午後2時)過ぎるとジメジメする。申(午後3時)過ぎると日が差す。酉半(午後6時)過ぎから激しい雨が降る。夜半過ぎには止む。元禄12年6月2日。曇。元禄12年6月…

すぐに犯人がわかったんだ

元禄12年5月29日。この夜、岡野五右衛門の44、5ばかりになる若党が高岳院前の小川郷右衛門の構、横町の壁の側で切り殺される。文左衛門はこれを見に出かける。右肩1つ、頭2つがいずれも深く切られていた。昨年までの同僚鑓持、今は大公御書院番佐…

またまた情報収集

元禄12年5月26日。この日から尾頭で能が行われる。大夫は日吉弥右衛門。

現代人はこういう仕事は大変なのか大変でないのかピンとこないです

元禄12年5月25日。御茶壷について武野新五左衛門が宇治へ出発する。

誰でも同じように受けられないと

元禄12年5月23日。近頃、施行(施し)は道路の非人ばかりに行われる。玄海の乞食はには届かず。今年の春の通り、新町と橘町の裏で行われる。

一体何が楽しかったのか

元禄12年5月19日。巳(午前9時)から文左衛門は大田元右と四郎左・円右・平左・瀬左と373文ずつ銭を出し合って天(戸なり)福寺へ出かける。市兵衛・十右衛門・智海やその他もとても楽しむ。子(午後11時)過ぎに帰宅する。

これは大須観音ですかね

元禄12年5月18日。馬頭が例年通り行われる。

実際は人身売買のようなものだったってことか

元禄12年5月15日。触が来る。ただし日付は13日のもの。一筆申し入れる。人の売買は固く禁じられていることである。召仕の下人は男女ともに年季は10年であるけれど、今後は年季の期限は設けない。昔から召し抱えていてもお互い話し合うようにとこの…

悪に手を染めると感覚がマヒしてしまう

元禄12年5月14日。御器所妙行寺村で、妙行寺の甥の浪人七右衛門が七間町の馬子を切り損ない、体裁が悪いと行方をくらます。近頃、中村芳隆のところで盗人を捕らえる。これより前に芳隆門の腰掛で寝ている者が1人いたことがあった。芳隆の母が寺を詣で…