名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

悪に手を染めると感覚がマヒしてしまう

元禄12年5月14日。
御器所妙行寺村で、妙行寺の甥の浪人七右衛門が七間町の馬子を切り損ない、体裁が悪いと行方をくらます。
近頃、中村芳隆のところで盗人を捕らえる。
これより前に芳隆門の腰掛で寝ている者が1人いたことがあった。
芳隆の母が寺を詣でる際にこの者を見て尋ねると、元は大工だったが、貧窮するに及び乞食をしていると答えた。
母は憐れに思い食事などをとらせた。
夜には門の内に寝かせた。
この乞人は戸の開け閉めし、何事においても才気あふれていた。
この後、また1人がやって来た。
これは木引の行き倒れであった。
先の乞人が身元を引き受け、同じようにここに留まった。
こちらも才気あふれていた。
またその後、1人やって来た。
葺師の行き倒れであった。
この者もここに留まった。
それぞれがその才気を発揮し、召仕よりも重宝し、芳隆夫婦もはなはだこの者たちを贔屓にした。
召仕たちも同じ部屋で暮らし、この者たちと仲が良かった。
しかし、この者たちは時には乞人や身元知れずの者となって出て行き、方々から盗品を持って帰って来た。
それを芳隆は安く買い取っていた。
召仕らも手を貸すうちに仲間となってしまった。
近頃、熱田で盗人を捕まった。
この者の話から彼らの盗みが露見した。
庄三郎もかねてから怪しいと睨んでいたので急いで20人ばかりを手配し、方々を手分けして盗み出るところの2人捕らえた。
1人は芳隆のところへ走り込んだ。
庄三郎は話をするが、芳隆はこの者を差し出さなかった。
庄三郎がこの者を調べるので、差し出さないのであれば預け置く言うと、仕方がないと言う。
それで裏の麦畠で寝ているところを縛り上げた。
その後、若党も召し捕り、連れて行った。
残った者は芳隆が自分で番をした。
また、後に残った召仕も全員召し捕り、連れて行った。
芳隆ははなはだ見苦しかったと。
この3人は隠しようもない間違いない盗人であった。

芳隆が処罰されないのはおかしい。