名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-03-15から1日間の記事一覧

先ほどの天歴の死体見分での出来事

宝永5年6月9日。十人衆高木新介・関留市兵衛がやって来て検視を行った。市兵衛は血を見るや目を開けて仰向きに倒れ、気を失ってしまった。外の座へ連れ出し、駕籠で帰宅させた。癇癪と云々。このため間宮甚五左衛門を呼びに行かせ、新助とともに天歴の死…

こういうことを聞いてやるのが上に立つ者の務めだと思うけど

宝永5年6月29日。東鉄門の土橋辺りの石垣の側の地面に長さ2、3間(1間は約1,8メートル)、深さは4尺(1尺は約30センチ)ほど、幅は2尺ばかりの穴が開く。相応寺天歴自筆の書置があった。その内容は、高岳院に泰心院様が何度かお訪ねになった…

町奉行もいいかげんだなあ

宝永5年6月26日。この日頃、堀川納屋の辺りに誰の仕業か分らないけれど御芦が流れて来た。津嶋や戸辺のものではなかった。思うに納屋の若い者が内緒で踊りの稽古をしていたが、この者たちの仕業かと。町奉行からも突き流すようにとのことだったので、着…

借りた者と貸した者で明暗

宝永5年6月25日。矢田で惣打が行われ、新左衛門が出る。小川勘右衛門は庄右衛門とは関係がないとの申し訳が立ち、許される。これにより庄右衛門から金を借りた者はいずれも徳(得)をする。近所では成田藤左衛門の身代は庄右衛門が肩代わりしており、い…

文左衛門の役料の売り払いに比べるとかなり高価

宝永5年6月24日。一色茂左が言うには、公の餅米が不足して町人に入札をさせた。1両で3斗8升と云々。おおかた選りすぐりのもの。

頼りになるのは現金

宝永5年6月22日。文左衛門は役料米を売払う。1両で7斗5升5合、買留は4分で7斗6升。

武士の身分も金で買えたか

宝永5年6月18日。山城守組に150石で牧孫兵衛が入る。父は福塚の百姓で、乗馬2匹を持つような金持ちであった。今は没落していた。山羽平兵衛の小舅であった。

馬鹿げてる

宝永5年6月17日。近頃江戸でのこと。公は酒をとても嗜まれる。五十三次という小さな盃があり、そこには宿ごとの蒔絵が描いてあった。これを並べ置いて、一度に飲むのが美徳とされていた。その後早飛脚という盃ができ、これには五十三次が全部入るもので…

もうそんな季節

宝永5年6月16日。祭礼が例年通り行われる。

リハーサル

宝永5年6月15日。試楽が例年通り行われる。

少し悪意を感じるなあ

宝永5年6月14日。手代安右衛門が飛騨の下呂から帰り話してくれたこと。上呂・中呂・下呂というところがあり、いろいろと不自由なところで黒米1升の代金が100文位、銭は1分で1貫あまりであった。生魚、とうふ、こんにゃくなどはなかった。米も1度…

侍をからかってるのか

宝永5年6月11日。近頃、文左衛門の住む町で戸を縛られる者がある。清水でも酒屋喜左衛門とそこから南の小家2軒が縛られる。男奉公人を隠し置いたためと。少し前から江戸と名古屋でデマがはなはだ流布する。時には果たし状を付け、または目付からの呼び…

ありがたや

宝永5年6月10日。知恩院大僧正丹理が熱田に泊まられる。鎮西派の直末(直参の末寺)は残らず出向いてお目にかかる。

かなり厳しい処分では

宝永5年6月9日。夕暮れ前、正方寺町下皆戸町エツル(ママ)まで燃えるが、すぐに消し止める。様物が1人ある。一の宮の社家(神職)であった。悪事が多くて追放となったが、立ち戻ったのでこうなる。

領地の石高何万石と言っても表と裏がある

宝永5年6月8日。両村(長良村と野崎村か)の麦の値段が1両で1石2斗。蔵の値段は1石1斗5升。尾州領分の砂除金が段々と百姓平田のところへ持ち寄られる。この日は智多郡・愛智郡から砂除金を差し出す。初めは100石に2両であったが、尾張公の表向…

自らの意志か、それとも事件か

宝永5年6月6日。日暮れ、野崎源五右衛門家来毛坊主役19才の吉田茂八がどこへ行ったか行方がわからなくなる。少し前の内藤浅右衛門の支配人と同様のこと。

ぼたって何でしょう

宝永5年6月3日。ぼたの(?)大坂懸り船(停泊船)に雷が落ちる。船頭2人が雷に打たれて死んでしまう。帆柱も砕ける。

恐れ多い人の名前は使ってはいけない

宝永5年6月2日。寄合で小沢九郎左衛門が話してくれたこと。4、5日前の晴天の日、町を通っていた鍛冶屋の屋根にどじょうが20ばかり落ちて来て跳ねているのを見たと。鵜が飲んだどじょうか。寅(午前3時)過ぎ、堀川水主町で1軒が火事になる。場所は…

宝永5年6月の地震です

宝永5年6月1日。夜、地鳴りがする。宝永5年6月2日。深夜、地鳴りがする。宝永5年6月4日。亥(午後9時)過ぎ、少し地震がある。宝永5年6月5日。申(午後3時)前、地震がある。宝永5年6月6日。夜更け、長く地鳴りがする。宝永5年6月11日…

宝永5年6月の天気です

宝永5年6月1日。暑い。日が暮れてしばらくの間雨が降って止む。宝永5年6月2日。夜はとても暑くて文左衛門は寝ることができなかった。深夜、雷が少し聞こえる。宝永5年6月3日。卯(午前5時)過ぎ、雨が一降りして、雷がまた轟く。卯半(午前6時)…