名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

少し悪意を感じるなあ

宝永5年6月14日。
手代安右衛門が飛騨の下呂から帰り話してくれたこと。
上呂中呂下呂というところがあり、いろいろと不自由なところで黒米1升の代金が100文位、銭は1分で1貫あまりであった。
生魚、とうふ、こんにゃくなどはなかった。
米も1度に1斗ほど買おうとするがなかった。
養林寺の住持も瘡毒(梅毒)のため少し前から入湯していた。
酒にはとても強かったけれど養生のため飲まなかったと云々。
この僧は五味平馬の伯父で本寿院尼の親族であった。
その悪事・不行跡には思いやられる。

近頃、隼人正は禅寺町下の亭(チン、東屋)を壊し、売り払う。
遠慮となったため。