名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-12-02から1日間の記事一覧

ここまで記録するとは本当に筆まめ

宝永3年7月26日。夕飯後、文左衛門は弥左へ行き、納采の祝義を見る。昆布が1台5連・2枚重ね5連の50枚の鯣(するめ)・塩鯛1懸・酒両樽・古酒8升ずつ入った杉樽。帯代は銀2枚で台付。未半(午後2時)頃、治左衛門がやって来てこれを見る。吸物…

見たくない死体

宝永3年7月29日。稲姫様卒去につき明日まで穏便の廻文が来る。近頃、出来町の大豆畑の中で中間1人が自害していた。25日のことととかで、後に見つけ出した。目を烏が穿(ほじる)き、片手も犬が食っていた。

どうして話しちゃうの

宝永3年7月28日。右近将監様御傅(守)丹羽五郎太夫は常々行いがよくなかった。女房を度々離別していた。近頃、近所の同心ぐらいの者の娘を奉公人に迎えた。この女は大酒のみで人柄、身代のよくなかった。養子の26になる惣領八郎左衛門が父を諫めて離…

稲姫は松平義昌の娘

宝永3年7月24日。稲姫様は産後に乳が腫れ、熱が出て食事がとれず、乳が破れる。長尾全庵が処方するが、4,5日前から奥山賢徳院が処方する。昨日夜中に急変し、明け方卒去される。伊東駿河守の妻で年は26。26日子刻(午後11時)に出棺する。伊東…

評判とは関係なく、奥田主馬は働き者

宝永3年7月23日。在所あるいは遠方の役所へ病で医者を招くことに関して廻文が来る。奥田主馬が勤めに出ること相変わらず。この春から今まで自分の長屋で食事をとったのは1度だけだと。先日も少し風邪気味のところ殿の前で伏して薬を飲み、養生するよう…

よく頑張りましたのご褒美

宝永3年7月21日。熱田の修理が終わり、褒美として河村丹左衛門に銀3枚、小市に金1両、又次郎に3分下される。

夏の風物詩

宝永3年7月17日。近頃、花火・流星(からくり花火)がとても流行する。大曽根あたり、南は鍛冶屋町、大池あたり。

どうやら芝居って出し物っていう意味でも使うようですね

宝永3年7月16日。大須でこの日から芝居が行われる。雨天のためこの日から行われる。和泉屋十二郎の八百屋お七ものがたりに人が多く集まる。ほかに軽業と祭文(さいもん)、それに瓢箪子でこれは腕に大きな腫物が2つ、瓢箪のような顔を見せる。以上の3…

それで肉親を殺しますかね

宝永3年7月13日。近頃、津田九郎兵家来の弟が乱心し、度々兄に切りかかるので母親を納得させて町宅で切り殺す。それで申し訳が立つ。近頃、鈴木十郎兵衛若党が十郎兵衛の妾と関係を持ち、その上僕2人が失踪する。全員請状や寺判などがなく、十郎兵衛の…

1日限りだったのでしょうか

宝永3年7月11日。矢田で惣打ちが行われる。この日で終わる。

ハンコ文化の始まり

宝永3年7月10日。近頃、老中から1000石以上に知らせがある。仕事が煩雑になっているので今後はあまり花押を用いず、印判(ヲシハン)を用いるよう心得るようにと云々。

これはありがたい

宝永3年7月9日。この日と明日、借用金が新番衆や五十人衆に渡される。天守奉行・具足奉行・鉄砲奉行なども後日借用する。

困った日に亡くなられた

宝永3年7月7日。清水観音の開帳がこの日で終わる。大井村甚右衛門の同僚市右衛門が永安寺町の自宅で自殺する。松寿院様の忌日なので出雲様(松平義昌)家中では今年から七夕の祝い事がなくなる。

身内が怪しいということか

宝永3年7月4日。昨3日の夜、天王坊が小便をしに出ると、急に縁の下から人が1人現れ、天王坊を下へと投げ落として猿轡をはめようとした。はめられないようつかみ合いうちに、大声を出すとあちこちに傷を付けて北へ向かって逃げ出した。そのうちに小僧な…

武兵衛は久四郎の仲間です

宝永3年7月2日。武兵衛の手廻り道具を都筑弥兵宅へ取り寄せて見る。長屋安左衛門が持参する。

いつから始まったか書いといてよ

宝永3年7月1日。又蔵宅で武兵衛を初めて詮議する。詮議は長引き、夕暮れまでかかる。

宝永3年7月の天気です

宝永3年7月1日。時々、曇る。宝永3年7月3日。明け方、涼しい。深夜から雨が降る。宝永3年7月4日。雨が降るが、時に止む。時に日が差す。未(午後1時)からジメジメする。宝永3年7月5日。時に日が差す。辰半(午前8時)過ぎから雨が降る。そし…