名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ここまで記録するとは本当に筆まめ

宝永3年7月26日。
夕飯後、文左衛門は弥左へ行き、納采の祝義を見る。
昆布が1台5連・2枚重ね5連の50枚の鯣(するめ)・塩鯛1懸・酒両樽・古酒8升ずつ入った杉樽。
帯代は銀2枚で台付。
未半(午後2時)頃、治左衛門がやって来てこれを見る。
吸物などが出る。
文左衛門は日が暮れてから袴羽織で弥右へ出かける。
治左を呼び出し、座敷に祝儀物を上げさせ、目録と帯代を治左に渡す。
奥へ入り、弥右夫婦と逢い、引き渡して出る。
持参の酒を治左が初め文左衛門にさす(おそらく盃で酒をすすめること)。
文左衛門は弥右にさすとまた来る。
文左衛門はまた内儀と女もんにさし、文左衛門から治左へ渡しそれでお仕舞にする。
冨田勘左衛門・相原一郎兵衛・水野佐左衛門と一緒に膳が出る。
酉之刻(午後5時)、勘左衛門・子勘之右衛門・市瀬助太夫・弥治郎・同弟両人・岡田孫右衛門・同子2人が帰る。
亥(午後9時)過ぎに文左衛門も帰り、すぐに弥左へ出かける。
そこで様子を話して帰る。
平助は上下を着て1朱貰う。
中間2人は200ずつ、八平は200貰う。
座敷で膳が出る。
酒担ぎ1人と提灯持ち1人は先に帰る。
目録引合2枚・重子立書(紙を重ねて箇条書きにする)。
鯣17匁5分・鯛28匁・昆布8匁・台49匁・酒1升につき1匁7分・樽2の代18匁。