名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-06から1日間の記事一覧

登場人物備忘録

小出晦哲=文左衛門の漢学の師天野源蔵=『塩尻』著者天野貞景本寿院=綱誠側室お福の方、吉通の生母園姫=綱誠正室新君(宝珠院)の妹一位様、桂昌院=綱吉の母石川瀬左衛門=文左衛門親友、頼母子仲間泰心院=綱誠吉田主膳=岩塚七所神社神官泉光院=継友…

また大池ですか

宝永2年10月27日。卯半(午前6時)のところ、辰刻(午前7時)に始まる。名代は九郎兵衛で長上下を着用する。性高院へ銀20枚下される。高岳院には2両、座頭へは20貫、盲女・非人へは8貫ずつ下される。かぢや(鍛冶屋)町下かうぢ(麹)が池(大…

初七日ぐらいですか

宝永2年10月25日。松寿院様法事が行われる。午刻(午前11時)に始まる。出僧は48人。未(午後3時)過ぎ頃、名代は津田九郎兵衛で長上下を着用する。樋口左兵衛督・中条左京亮が使者として近頃中条主水宅におり、法事の間は詰めていた。

うーん、この後女性はどうなるのか

宝永2年10月24日。昼、かぢや(鍛冶屋)丁下大池に女1人が身を投げるが死ななかった。その間に人が見つけ、焼火(焚火)で暖めると生き返る。

やはり藩主などと比べるとかなり規模は小さい

宝永2年10月20日。巳刻(午前9時)、葬送が行われる。僧40人、殿司8人。公からの名代は津田九郎兵衛、出雲様(松平義昌)からの名代は朝比奈半左衛門。いろ(喪服)を着て、位牌を持つ。廟番は出雲守様勝手番と松寿院様足軽が勤める。不足ところは…

かなり朝の早い時間ですね

宝永2年10月19日。寅刻(午前3時)、松寿院様の棺が出る。津田九郎兵衛が供をする。東大手から出て、片場通り、呉服丁筋、白林寺前から本町へ向かわれる。寅半(午前4時)過ぎ、性高院本堂に入られる。

7日の情報の通り

宝永2年10月14日。この日から作事が始まる。昨日、中条主水が名古屋に到着する。公から松寿院様の病中見舞の使いとして。

年末の資金調達

宝永2年10月13日。文左衛門は昼から源太左へ出かける。いつもの頼母子会のため。(後略)

途中で預かり先が替わるんですね

宝永2年10月12日。今宵、従兄鮎川甚之右衛門のところへ鈴木七兵衛を引き取る。近頃、預替がある。

廻文より早く情報は伝わった

宝永2年10月7日。それとなく13日まで作事などは中止となる。家中の者は皆穏便にする。松寿院様が亡くなったとの廻文がある。

松寿院は光友側室、松平義昌の母

宝永2年10月6日。松寿院様が亡くなる。

そりゃ預かりたくはないですね

宝永2年10月3日。評定所東へ3人扶持御目見水野只助が入る。父は水野丹右衛門といい、馬廻でその前は書院番を勤め、奥州の者であった。只助は身持ちもよくなく、その上盗みをはたらくとの噂もあった。あるいは金をとって車を引いていたとも。小万物や曽…

宝永2年10月の天気です

宝永2年10月6日。曇。辰半(午前8時)過ぎから雨が降る。申(午後3時)前に止む。宝永2年10月7日。晴。宝永2年10月11日。曇。夕暮れ前からわずかに雨が降る。宝永2年10月12日。雨が降るが、巳(午前9時)過ぎに止む。昼頃少し雨が降り…