宝永3年7月28日。
右近将監様御傅(守)丹羽五郎太夫は常々行いがよくなかった。
女房を度々離別していた。
近頃、近所の同心ぐらいの者の娘を奉公人に迎えた。
この女は大酒のみで人柄、身代のよくなかった。
養子の26になる惣領八郎左衛門が父を諫めて離別しろと言うと父はうなずくが、ある夜女にこのことを話してしまった。
女は大いに怒り、恨んで継子をいろいろ謗り、ののしった。
八郎左衛門はたまらず近頃身内のところへと家を出るが、大もめとなってしまった。
目付へは親類共のところへ遣わしたことにするが、内情は上に下にと大混乱となった。