名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

家に糞をまくとはよっぽど腹に据えかねたか

宝永1年4月11日。
昨年、上中村の百姓庄屋の惣領が同じ村の妻と関係を持った。
このため近藤弥五太夫百姓彦三郎当年49、吉田半右衛門百姓平三郎当年50、高野角兵衛百姓忠兵衛当年50の3人が詫びを入れて済ませた。
これも昨年のこと。
しかし、親は不快に思って惣領を他の村に遣わし、次男を跡を継がせ、近頃妻を迎えた。
3人が言うには、昨年我らが百計を案じて穏便に済ませたにも関わらず礼もなく、他所へ遣わした上に次男に継がせて間もなく祝言をさせるとははなはだ不快であると。
祝言の夜、糞を担ぎ、家の中に放り投げた。
これを訴え、3人は牢に入る。
庄屋には何の処罰もなし。
この日未(午後1時)過ぎ、山崎半九郎のところへ小頭2人がやって来て召仕六介に尋ねたいことがあるので町奉行へ遣わすようにと云々。
四郎左衛門若党をつけて遣わす。
六介は牢に入る。