名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-02から1日間の記事一覧

男気のある男じゃないですか

宝永1年4月28日。未(午後1時)過ぎ頃、熱田二の鳥居の側で大小を差した男が脇差で喉を切り、刀で腹を切る。どちらもうまく切れず、すぐに肉の塊をつかみ出す。それでも死なず。熱田奉行の足軽がやって来て、どこの者だととても横柄に尋ねる。この者は…

これも被害はなさそう

宝永1年4月27日。酉(午後5時)過ぎ、小さな地震がある。

今回は短いです

宝永1年4月26日。穏便のことはこの日からいつも通りと心得るよう廻文がある。

これも穏便の関係で殺生は止めろってことですかね

宝永1年4月21日。今朝から23日まで熱田の海での漁が禁止される。

由助、あなたが悪い

宝永1年4月19日。和田六左衛門召仕由助は百姓で信府村の者であった。同じ村から来た百姓で若党高橋紋右衛門と同僚であった。ある時、由助が紋右衛門の女房を犯したことが露見し、若党と由助は口論となったと云々。昨日夕暮れころ、目薬を求めると言って…

確かに穏便と言いながら祭礼はおかしい

宝永1年4月18日。切紙をもって申し入れる。鶴姫様は去る12日夜逝去なされたので音曲、鳴物などは止め、諸事穏便にするようにとの御意を老中が申し渡された。期限は追って申し入れる。以上。4月18日 近藤小太夫。両御城代殿。加えて、このことを同心…

雨の東照宮祭

宝永1年4月17日。卯8刻(午前6時半過ぎ)連子(兄弟)様たちが桟敷に入る。この時雨は止む。辰半(午前8時)、年寄衆が桟敷に出られる頃より雨が降り出し、止まず。しかし祭礼は行われる。警固の者たちはずぶ濡れになり、町奉行はずっと傘もなし。足…

服って服部さんか誰かですかね

宝永1年4月16日。舞楽が例年の通り行われる。ただし寺社奉行はおらず、三郎右伯父の服がいる。

潔白ならばすぐ帰される

宝永1年4月15日。半九のところの小僕と千村次郎右衛門のところに住むしげと同僚だった女を町奉行へ呼ぶ。先日枝(橦)木町で切られた女のことを詰問する。2人は申し開きが出来てすぐに帰る。

家に糞をまくとはよっぽど腹に据えかねたか

宝永1年4月11日。昨年、上中村の百姓庄屋の惣領が同じ村の妻と関係を持った。このため近藤弥五太夫百姓彦三郎当年49、吉田半右衛門百姓平三郎当年50、高野角兵衛百姓忠兵衛当年50の3人が詫びを入れて済ませた。これも昨年のこと。しかし、親は不…

火を付けちゃあいかんでしょう

宝永1年4月9日。少し前、石黒三郎左衛門玄関番が武具・馬具などを盗み取られ、火を付けてそれを隠そうとした。捕まえ、その後牢に入る。小僧も1人牢に入る。

普段山門は閉まってるものですか

宝永1年4月8日。釈迦の誕生日とのことで建中寺の山門が開く。

悪人には天誅がくだる

宝永1年4月6日。勘定所でこの日から宝永の年号を用いる。寺尾内造(匠)宅で万五郎様用達近藤貴右衛門・川口又左衛門の2人は勤めが不真面目と役を取り上げ、小普請組になる。この2人は慢心し、身勝手にずる賢いことをすることが多いと。昨年、2人はわ…

繊細な若者だ

宝永1年4月1日。今朝、萩原八太夫養子弥五平次20歳が雪隠で自殺する。少し前から弥五平次は様子がおかしく、一切外にも出なかった。母は何となく引きこもり、気も優れないのかと思い、昨日大森寺へ一緒に出かけた。八太夫が家にいては出かけづらいと思…

宝永1年4月の天気です

宝永1年4月1日。雲が乾(北西)へ流れ行き、東風が強く吹く。天気が不安定で時々雨が降る。未(午後1時)過ぎに止む。時に晴れる。夜、雲が立ち込め、時に雨が降り、雷が鳴る。また少し轟く。宝永1年4月2日。曇。昼半(午後0時)過ぎから晴れる。宝…

確かに時期によっては宿場がごった返したようです

宝永1年3月30日。覚。一 諸大名参勤や帰国の際は道中混みあわないようにし、連れる人数も多くならないようにし。1つの宿に集中しないように心得てうまく調整するように。もし集中してしまった場合は相談し、雇馬をし通るように。定めの人馬のほかに添人…