名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

繊細な若者だ

宝永1年4月1日。
今朝、萩原八太夫養子弥五平次20歳が雪隠で自殺する。
少し前から弥五平次は様子がおかしく、一切外にも出なかった。
母は何となく引きこもり、気も優れないのかと思い、昨日大森寺へ一緒に出かけた。
太夫が家にいては出かけづらいと思い、八太夫が外出した際に連れて行った。
太夫は帰ってからこれを聞き、日ごろから短気であったのではなはだ激怒し、飛び跳ねながら帰りを待った。
人ごみの中ではどうかなってしまわないかと迎えを遣わした。
帰ると強く妻を叱りつけ、怒りにまかせて妻を叩きつけたので妻は肘を少し傷めて閨に入った。
弥五平次は日ごろから鬱々としていた上に、このような仕打ちを目の当たりにしてはなはだ気分を害した。
この日未明に起きて雪隠へ行く。
若党は閨を片付けたが、永らく帰って来ないので怪しんだ。
鼻紙を忘れて行ったので帰って来れないと思い、持って行ってこれを見つけて大いに驚く。