名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-01から1日間の記事一覧

何たる不幸

宝永1年3月29日。戌(午後7時)過ぎ、早川十右衛門屋敷の小屋から火が出て焼失する。去年の火事の後、小屋だけを建てたが、その小屋が残らず焼失する。

ご利益ありだな

宝永1年3月28日。この日から晦日まで2夜3日、大森寺で五千日恵向が行われる。昼夜、人が集まる。

昨日とは導師が違います

宝永1年3月24日。七ツ寺の潅頂が行われ、導師は住持良快。

毎年提出するものなのですね

宝永1年3月26日。文左衛門は例年通り宗門一札(家ごとの宗門改帳)を武右へ持参する。七ツ寺で昨日雨のため延びた庭儀の潅頂がこの日行われる。導師は青塚の性海寺。見物が大勢集まる。

馬を担ぐ、何たる怪力

宝永1年3月23日。橋田勘之丞の馬を馬苦労(馬喰)が遠乗りに出かけるが、源了院様元の屋敷のあたりで馬苦労の脇差が抜け落ちて地面に突き刺さる。馬の前足が突っ込み、はなはだ流血する。馬を担いで家に帰る。

なんか切ない

宝永1年3月21日。夕暮れ前、昨夜切られた女の死骸を法花寺町上の弥介という者が宿であったので請け取りに出かける。

究極の純愛

宝永1年3月20日。酉半(午後6時)前、橦木町加藤三十郎のところで女が首を切られて死んでいた。文左衛門は翌日これを見る。下に郡内嶋、上に紫と染め分けた紬茶小紋帯。首はとてもきれいに切られていた。女の草履には土がついておらず、近所で履き替えた…

うわー、便乗商売

宝永1年3月18日。宝永元年という字を板に押して、1銭で売り歩く。

死ぬのはよくない

宝永1年3月17日。夜、久屋町で男女が心中する。夫は玉置豊三郎歩行の者、女は武平町に奉公する茶の間女と。

書面があれば何も言えない

宝永1年3月13日。氷上姉子神社は熱田の宮の別宮で尾張氏代々が祢宜職とし、祭ごとに出かけて祝詞を勤めていた。最近、大宮司家がわけあって蟄居する。近頃、氷上の祠官久米伝蔵が訴え出た。当社は熱田を起源とし、久米氏が代々神事を行ってきた。しかし…

いろいろと報告しないといけない

元禄17年3月11日。服部源兵に武兵衛小頭月番星野勘左衛門へ文左衛門は死亡を報告してもらう。昼前、渥美源兵、勘左がやって来る。葬送のことは後で指図をするが、たとえ指図がなくても今夜葬送の時になれば指図がなくても葬送するようにと云々。申(午…

脳卒中ですかね

元禄17年3月10日。巳(午前9時)前、武兵衛は大便に行き、戻る際突然気持ちが悪くなり、手足がすくんでふとんまで戻れず、話もできなかった。意識なく痰をせき込み、いびきをかいて眠った。時々色の変わった黄色い食べ物や薄く血の混じる痰など吐いた…

大きなことを言った十太夫、離婚してるじゃないか

元禄17年3月8日。申半(午後4時)過ぎ、火事とのことだったが嘘であった。近江守家来橋爪十大夫目付役の子小姓役分蔵が蓄電する。初め、十太夫は天野儀平の女を娶り、分蔵を産んでいた。その妻が死に村瀬自休の女を娶った。女の子を産むが労咳で死んで…

これは殺人事件か

元禄17年3月6日。明け方、揺れがあったと。近頃、萱場の池に22、3になる女が水に放り込まれていた。美しい女だと。絹の下帯に木綿の衣類、鼻紙袋などがそのままにしてあった。この3日まで松平善左衛門のところに奉公していた女であった。

被害はなしか

元禄17年3月5日。明け方、揺れがあったと。

これは迷宮入り

元禄17年3月2日(ママ)。下屋敷廻りを勤める辻番浅見茂兵衛43歳は非番で在所の上野にいたが、明日名古屋へ戻る時に花を持って行くと約束していると夕暮れ前に刀も差さず、鎌を持って酒を呑んで出かけたが夜が明けても帰って来なかった。翌3日昼頃、…

元禄17年(宝永1年)の天気です

元禄17年3月1日。雨。辰半(午前8時)過ぎから巽(南東)の風が吹き、雨が横なぐりとなる。未(午後1時)過ぎには止む。晴。元禄17年3月2日。晴。西風が吹く。元禄17年3月3日。昨夜から寒い。元禄17年3月8日。薄曇。元禄17年年3月12…