名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

いろいろと報告しないといけない

元禄17年3月11日。
服部源兵に武兵衛小頭月番星野勘左衛門へ文左衛門は死亡を報告してもらう。
昼前、渥美源兵、勘左がやって来る。
葬送のことは後で指図をするが、たとえ指図がなくても今夜葬送の時になれば指図がなくても葬送するようにと云々。
申(午後3時)、葬送してよいとの手紙が来る。
武兵衛は面倒をみてもらい、永らく病気養生できたのはありがたいことである。
このこと間宮造酒允殿へよろしく仰せいただいたと。
礼書1通を両小頭の宛名、渡辺武兵衛と書いて渡す。
文左衛門のところから武右へ手紙を遣わし、この日から10日は忌中と知らせる。
その後この通りの状を両小頭の宛名で武右へ遣わす。
一筆啓上致す。
5年前の辰年に願いにより私の屋敷に置いた渡辺武兵衛が明け方に病死した。
公に伺い申し上げるべきであるが、忌中であるのでこのように断りをいれさせていただきます。
冨永彦兵衛様へよろしくと仰せいただいたと。
恐惶謹言。
酉3刻(午後5時半過ぎ)出棺し、文左衛門はこれに従い行く。
相福院の和尚が引導する。
はなはだ簡素な葬送であった。
直ちに駿河町下三昧(葬場)へ相福院が付き添って行き、火葬にする。
文左衛門は槍を持ってついて行く。
弥三右衛門・権内も付き添って行く。
亥(午後9時)前に帰宅する。