名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-10から1日間の記事一覧

こりゃへそくりですか

宝永1年7月28日。この朝、祐西の具足櫃を調べると中に10両2分入っていた。ほかに鼻紙袋に7両ばかりあった。貸した金も68両あった。

昔は事前に戒名を得ていたのでしょうかね

宝永1年7月27日。巳刻(午前9時)、久太夫の屋敷を差し上げる。七内・源兵に渡す。久太夫の昨年からの血脉(系図)には在誉祐西とある。しかし、相福院の過去帳の裏には祐綱とあるので引導(棺の前で行う経)でも祐綱と言っていた。しかし、血脉に記さ…

気にするなら人使いの荒さを改めなさい

宝永1年7月26日。昨今、道具を残らず源右へ運び出し、屋敷の掃除などを行う。夕暮れ前に火事との噂があるが、嘘であった。在京五十人目付長坂権右衛門が書置を残し立ち退く。この21日に朝、召仕3人が欠落する。江戸詰の時も召仕が残らず欠落する。人…

変わり果てた姿を見るのは忍びない

宝永1年7月25日。文左衛門は10日忌中の届けを手紙にして武右へ遣わす。この朝、久太夫を沐浴する。文左衛門が見たところ右半身が紫色の斑になっていた。いつもと変わった姿をみるのは耐えがたかった。この日から道具などを片付ける。酉(午後5時)過…

渡船に同じって渡りに船ってことなんでしょうか

宝永1年7月24日。明け方、久太の息が荒くなったので妻が起こしに行くと正気をなくしていた。卯(午前5時)過ぎに文左衛門が行ってみると卒中のようであった。声がかれ、いびきをかいていた。鍼灸も薬も効果がなかった。辰(午前7時)過ぎにはついに死…

そちらの方が便利なのか

宝永1年7月19日。黄檗東輪寺は東に大門を開ける願いが叶う。この日、申し渡しがある。

ずと熱田神宮はごちゃごちゃしている

宝永1年7月18日。近頃、伝馬町米屋一郎右衛門という者が久屋町の吉田屋治左衛門という者を手代のように扱い、500両の金を方々へ貸していたが、治左衛門が横領して素知らぬ顔と。近頃、鳴海宿の出女(客引きの女)36人を捕らえ、牢に入る。みだらな…

どんだけ貯めていたんだ

宝永1年7月15日。近頃、信濃守同心矢田惣介が死ぬ。金が3000両、米も多くあったと。この日、江戸から板乗物2つが到着する。足軽頭蜷川伴右衛門がこれを守る。1つは金森伝七、1つは頭坊主。今年江戸を失踪し、立ち戻った者だと。

働かんかい

宝永1年7月13日。申(午後3時)から文左衛門は瀬左・加兵と古井村へ出かける。池の端で月を鑑賞する。(後略)大須で和泉屋十三郎の狂言、ほかに芝居が2本行われる。1本は今織(金襴)を織る婆。もう1本は竹田の手代による碁盤人形使い。

どうして男の子だけ連れて行く

宝永1年7月12日。河原甚介手代荒川太左衛門が男の子1人を連れて逐電する。後にはなお妻子が残る。極貧であったと。

これも男女関係のもつれか

宝永1年7月9日。門足軽頭増田義右衛門が足軽の女房を殺し、自害する。

急に満月の話題とは

宝永1年7月8日。この夜、満月であったとのこと。堀川の船頭や本町佐左衛門という者は確かに見たと。

今回赦されたの2人だけ

宝永1年7月7日。この朝、行赦が盗人の三四郎・杢右衛門2人ある。建中寺に布施金7両。4ケ寺へ金2両ずつ。上人に3分ずつ。西堂役者へ3分ずつ。西堂へ2分2朱ずつ。維那経奉行・座奉行・唱明8人などへ各2分2朱ずつ。平僧1分2朱ずつ。行者ほかに…

綱誠の子である喜知姫の法事です

宝永1年7月6日。この日から明日朝まで智法院様7回忌の法事が建中寺で行われる。僧は36人。馳走奉行に毛利勘解田・田辺太左衛門。惣門固に足軽頭平野甚右衛門・鳥居与市。山門に吉田作右衛門。

浅ましい金儲け主義

宝永1年7月5日。北野山真福寺で加賀石河郡天嶺山白山寺宝代坊がこの日から11日まで7日間開帳する。大御前の十一面桧の宮阿弥陀、劔宮不動。什物(宝物)には□□□の神代巻、雷除の金剛杖などがある。6文で不浄よけの守りを買わなければ内陣(本堂)に入…

理由なく叱りつければパワハラです

宝永1年7月1日。昨夜戌刻(午後7時)、弓場荻右衛門18になる小姓草履取三之助が自害し損ね、養生する。昨夜荻右衛門は気に入らないことがあり、むねうち(棟打、みねうち)をして恥をかかせた。この男は近頃悉皆人(家中を仕切る人)を申し付けられたが…

宝永1年7月の天気です

宝永1年7月1日。雲は秋の空のようであった。巽(南東)の風が吹く。巳半(午前10時)過ぎから雨が降るが、また止む。またジメジメする。また止む。宝永1年7月2日。天気は安定せず。時々雨が降る。巳半(午前10時)過ぎから晴れる。宝永1年7月3…