宝永1年7月24日。
明け方、久太の息が荒くなったので妻が起こしに行くと正気をなくしていた。
卯(午前5時)過ぎに文左衛門が行ってみると卒中のようであった。
声がかれ、いびきをかいていた。
鍼灸も薬も効果がなかった。
辰(午前7時)過ぎにはついに死んでしまった。
58歳、表向きには60に臨み亡くなったので渡船と同じ(?)。
文左衛門はたまらず何度か涙をぬぐう。
急死であったのでこの日葬ることはしなかった。
夜、文左衛門は弥三右とここに泊まる。
宝永1年7月24日。
明け方、久太の息が荒くなったので妻が起こしに行くと正気をなくしていた。
卯(午前5時)過ぎに文左衛門が行ってみると卒中のようであった。
声がかれ、いびきをかいていた。
鍼灸も薬も効果がなかった。
辰(午前7時)過ぎにはついに死んでしまった。
58歳、表向きには60に臨み亡くなったので渡船と同じ(?)。
文左衛門はたまらず何度か涙をぬぐう。
急死であったのでこの日葬ることはしなかった。
夜、文左衛門は弥三右とここに泊まる。