名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2024-02-20から1日間の記事一覧

復興の足音が

宝永5年1月30日。東海道で破損した宿々の普請が行われる。手伝は松平越中守などが務める。これは割付金子(割当金)で賄われると。普請は勅使が参向前に終えるようにと。渡辺飛騨守家来小林杢右衛門の養子佐源次と渡辺佐夜之進は以前懇意にしていたが、…

今の為替相場と同じだ

宝永5年1月24日。近頃、米は1両で6斗9升ほど。

これも倹約のためですかね

宝永5年1月23日。東西鉄門番所と本丸・深井丸、それに仮番所、その上あちこちの辻番までも灯油を鯨にするようにと取田次郎左衛門から通達がある。今月中は前の通り荏(えごま)の油で、来月からは鯨の油と云々。

今でも先祖の出身地を訪ねる人がいますよね

宝永5年1月20日。この日頃、長崎奉行佐久間安芸守が先祖の地だと言って御器所の八幡を参詣し、神主を呼び出して銀1枚を寄付する。神主へは麻の上下1巻を与えられる。熱田の大膳亮建立大石灯籠を上手く据えなおしたと寺社奉行も満足なさる。

なぜ手討にしようとしたのだ

宝永5年1月15日。昼頃、大沢無手右衛門が槍持ちを手討にし損ねて取り逃がす。遠山伝十跡目の門へ入ったところを若党・足軽などをやり、引き連れて来て切りつける。初めは頭と肩の2ヶ所を切りつけるが上手く切れなかったと云々。槍持ちは4年間召し仕え…

確か奉公人の給料前払い?

宝永5年1月12日。先給先請の廻文が来る。 小川勘右衛門が庄右衛門を探し出すためこの日に尾張を発ち、江戸へと向かう。家財には封が付けられ路金もないので、小舅の御園町十一屋と平家(琵琶?)を証文にして金を借り、路用(旅費)として遣わす。

危険物注意

宝永5年1月9日。この日から末森へ塩硝を引いていく。

宝永5年1月の地震です

地震の記事が多いので地震だけ天気のようにまとめます。宝永5年1月1日。寅前刻(午前3時)、長い間地鳴りがする。宝永5年1月4日。丑半(午前2時)過ぎ、弱い地震のようで、少し地鳴りがしてぎしりと音がする。近頃は同じようなことが昼夜よくあった…

名を変えたり、地名を変えることがよくあります。忖度。

宝永5年1月8日。近頃、荒川主馬が式部と名を改める。これは奥田主馬を憚ってのこと。

山崎闇斎の弟子に何が

宝永5年1月1日。山中武兵衛は山崎闇斎の弟子と云々。長野只四郎が請け合い、昨年冬から尾張へやって来て、伝馬町で家を借りていた。この武兵衛は生活に困り、秋過ぎに尾張を去っていた。他にも昨年から中村勘介という者が闇斎の弟子になっていた。毛利内…

宝永5年1月の天気です

宝永5年1月1日。雨が降る。時々雨が止むときがある。道が泥で滑り、歩くのにはなはだ苦労する。未(午後1時)頃、雲が厚く空を覆って暗くなり、西の方では雨が降りしきる。未半(午後2時)頃になって日が差す。その後、晴れる。夜、西風が家を揺らす。…