名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

復興の足音が

宝永5年1月30日。
東海道で破損した宿々の普請が行われる。
手伝は松平越中守などが務める。
これは割付金子(割当金)で賄われると。
普請は勅使が参向前に終えるようにと。

渡辺飛騨守家来小林杢右衛門の養子佐源次と渡辺佐夜之進は以前懇意にしていたが、佐夜進が小姓になったため今は疎遠になっていた。
その上、佐源次の悪口を言っていると聞きつけ、佐源次はとても怒っていた。
近頃、近頃飛騨守の寝所に入り、佐夜進を切ろうとした。
小僧がこれを見とがめて知らせたと云々。
飛騨守は杢右衛門を呼んで申されたのはお前の子は乱心していると。
きつく申し付けるはずだが、お前は長い間勤めてきたので、お前のところで預かるようにと云々。
このため佐源治をだましだまし家へと連れ帰った。
佐源治も側廻り奉公をしていた。