名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

結局何をしに行ったのやら

宝永5年12月14日。
卯ノ刻(午前5時)、文左衛門は八郎右・丹左とともに熱田へ出かける。
瀬左は駕籠で出かける。
文左衛門と八郎右は参詣する。
粟田福大夫に借金を頼もうと辰半(午前8時)前に着いたが、福大夫は早朝から名古屋へ上納金を渡しに出かけたと云々。
このため口上書を残し、茶屋新六でかば焼き・酒・うどん・かきの吸物・白魚の酢びて(鯉の刺身を酢に漬けたもの)などを頂き、そこから築出しあたりを廻り、丹左の案内で地蔵院へ出かける。
文左衛門はかば焼き25串を食べる。
庭には紅梅のとても古い木があり、目を驚かす。
ここで福太夫の帰りを待つ。
酒が出たが、文左衛門は酒が残っていたので飲まなかった。
福大夫へ4人で酒3升、なよし(名吉、鰡)2本140を遣わす。
申(午後3時)頃からまた丹左の案内で松岡作内大夫のところへ出かけて待つ。
ここでは粥を煮て頂き、下々も食べさせる。
鰡の吸物ならびにでんがく・酒などを頂き、酉(午後5時)過ぎ、福大夫のところへ出かけて座敷に入り、茶を呑む。
まだ帰ってないと言うので酉半(午後6時)頃、帰路につく。
この時、北風で雪が顔に当たり、ひどい寒さであった。
しかし、酒の酔いもあったのでものともせず、戌(午後7時)過ぎに帰宅する。