名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

伝左衛門1人で探し出せるのか

宝永5年12月13日。
伝左衛門は今まで名古屋に入ることはできなかったが、理右衛門が死んだことで尋ねに出る者が伝左衛門1人になって貴重であったので、まずは厳寒の時期であるので家に戻り、休息してからまた尋ねに出るようにと彦兵は申された。
このためこの日家に戻る。

博打打17人が牢に入る。
つまり尚庵召仕1人、山澄大膳家来3人、松平九兵衛召仕4人、西川増右衛門召仕2人、朝比奈左衛門召仕2人、車ノ町俵買1人、東新出来町で1人、日置で2人、西新町で1人。
牢米は1日で白米1升ずつ出す。
この他にも成瀬内膳召仕は主人に預ける。
内膳が死んでも、子に預ける。