名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

十左衛門は良い人じゃないですか

宝永2年2月26日。
未(午後1時)前、米倉文右衛門の門外を田辺太左の稽古帰りの石川十左衛門・中根健右衛門・山崎藤兵衛が連れ立って歩いていた。
後から目付広瀬助右衛門が母の忌中のため駕籠でやって来て、はいはいと言いながら列を割り込み、棒が十左衛門に当たった。
十左衛門はこれを咎めると、助右衛門は駕籠から出て言うには、召仕がはなはだ迷惑をかけてしまったようだ。
自分は用向きの書を見ていてこれを見なかったが、勘弁してくれと謝った。
この時後から十左衛門の弟子仲間が大勢集まって来た。
助右衛門はこの者たちに向かって十左衛門の気がおさまるように召仕をどうすればよいかと云々。
誰も返答は出来なかった。
そうこうする間に十左衛門があなたには言うべきことはなく、ただ召仕のことを言っているだけだと。
まずは駕籠にのって帰ってくれ、その後で決めようではないかと言って帰り、手紙を遣し、その手紙で我らの面目が立つようにしたいと。
この時助右衛門は留守であった。
追って石川竹右衛門に返召仕には何でも申し付ける返事をすると云々。
十左衛門は言うには、それならば召仕に申し付けられたら知らせてほしいと云々。
翌日、竹右衛門から召仕3人に成敗を申し付けると云々。
十左衛門らは言うには、それならば成敗は当然である。
しかし助右衛門は忌中であるので召仕の命は許してやってくれと言う。
このため駕籠かき2人は追放、1人は奉公先追放となる。
初め助右衛門に手紙を遣わす時、健右衛門・藤兵衛が知っていることも十左衛門と同じと書き入れると。