名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-05から1日間の記事一覧

頼みごとに行かせて刀を抜くか

宝永2年2月28日。少し前、秋本源左衛門が兄米倉七郎兵衛から金を借りてほしいと平岩瀬兵衛に頼み、兄のところへ行かせた。瀬兵衛が雑談していると源左衛門が急にやって来て刀を抜いては入ってきた。瀬兵衛がこれを組み留めた。酔っぱらってのことであっ…

十左衛門は良い人じゃないですか

宝永2年2月26日。未(午後1時)前、米倉文右衛門の門外を田辺太左の稽古帰りの石川十左衛門・中根健右衛門・山崎藤兵衛が連れ立って歩いていた。後から目付広瀬助右衛門が母の忌中のため駕籠でやって来て、はいはいと言いながら列を割り込み、棒が十左…

少し前に盗品を売りさばいた事件の関係者

宝永2年2月22日(ママ)。中村養叔のことで親類本多四郎左衛門・中村牧右衛門・同弁右衛門には調べがあるので出向くようにと。芳隆には今月12日に5人扶持を下された。今月28日、四郎左衛門は江戸へ出向き、中村兄弟は京、大坂へ出向いた。

2人の間に何かあったはず

宝永2年2月24日。細工の者(細工師)池田伴内・利倉長兵衛が江戸へ下る。箱根畠の茶屋で伴内が長兵衛を切り殺す。茶屋は伴内を捕らえ、急いで江戸へ知らせる。供番真鍋茂太夫、五十人目付伊藤伝九郎がやって来て伴内を請け取り、江戸へ向かう。3月4日…

また成瀬家の失態

宝永2年2月22日。万松寺へ文左衛門は政右と畳見分に出かける。夜、上井(飯)田村で1軒が焼失する。夕暮れ前、隼人正小番平尾伴内と歩行中村円右衛門が連れ立ったとも出くわしたともいうが、志水から柳原への細路で大曽根村の竹屋甚八と出くわした。路…

世話になっておりながら

宝永2年2月18日。馬廻小頭高木志摩組田嶋七左衛門に世話になっていた甥林又八郎が欠け落ちる(行方をくらます)。19日に志摩から届けがある。日ごろから盗み癖があった。坂崎勘左衛門若党が酒に酔って白林寺の堀に落ちていた。後に迎えを遣わし、よう…

これはかなりの火事だ

宝永2年2月17日。夜、勝川村で30軒ほどが焼失する。

酒の密造か

宝永2年2月9日。倉橋屋の戸を縛る。密かに酒を造ったためと。桶屋も1軒戸を縛る。御園町のこと。

忘れちゃいかんでしょう

宝永2年2月14日。後藤友之丞・嶋沢久太夫が昨年の宗門の一札を忘れ、近頃このことを寺社奉行から届ける。

これは高いのでしょうかね

宝永2年2月11日。今春、蔵の買留(買い上げ)は2分。値段は8斗5升。

この評定所東の家はよく出てきます、今の拘置所みたいなところでしょうか

宝永2年2月8日。昼頃、万場村で家30軒ほどが焼失する。佐藤治左衛門召仕長屋彦左衛門が評定所東の家に入る。治左衛門と知行百姓との間では取り合い(米などをめぐる争い)があった。

どうも成瀬家のイメージは良くない

宝永2年2月3日。岩間紋右衛門が新たに逼塞する。少し前、もはや遠慮には及ばないと隼人正が申し付けられ、作事などを行っていたのを目付方から横やりが入り、隼人正から肝煎りに世間にわかるように紋右衛門を逼塞させるようにと。世間は隼人正の軽率で度…

宝永2年2月の天気です

宝永2年2月1日。晴、時に曇。西風が雲を吹き流す。宝永2年2月3日。薄曇。宝永2年2月4日。薄曇。巳(午前9時)過ぎて晴れる。宝永2年2月8日。風が吹く。宝永2年2月9日。快晴。宝永2年2月10日。曇。昼過ぎからわずかに雨が降る。未半(午…