名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

また成瀬家の失態

宝永2年2月22日。
万松寺へ文左衛門は政右と畳見分に出かける。
夜、上井(飯)田村で1軒が焼失する。
夕暮れ前、隼人正小番平尾伴内と歩行中村円右衛門が連れ立ったとも出くわしたともいうが、志水から柳原への細路で大曽根村の竹屋甚八と出くわした。
路をよけなかったと叱りつけ、その上沼田に突き落として通って行った。
甚八弟の家が近所にあり、甚八はそこへやって来て堪忍できないと言って、棒を持って追いかけた。
弟又六も続いて追いかけた。
2人の士は立ち止まり、刀で応戦するも甚八が棒で叩き落としたので士は甚八と組み合いとなる。
士は組み伏せられると耳に噛み付き、その間にもう1人の士が甚八に切りつけた。
又六が兄を助け、共に2人を切り殺した。
甚八は夜中に死んでしまう。
又六を指を切り落とされただけですんだ。
又六は中間浪人であった。
家には番が付く。
平尾伴内は15石、家は前津の新屋敷。
隼人正はこの喧嘩を聞き、我が家の家来ではないかと1人見にやらせると、我が家の家来ではないと言った。
なおも心配で目付役ともう1人をやるが、これもその通りだとのことだった。
又六は刀を抜いて兄の死骸の横におり、寄せてくる者がいれば相手をするなどと言うので怖がって近づかなかったと云々。
隼人正は後で家来であったことを聞いて大いに怒り、使いの者たちを手討ちにしようとした。
目付は役を取り上げられた。