名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これは迷宮入り

元禄17年3月2日(ママ)。
下屋敷廻りを勤める辻番浅見茂兵衛43歳は非番で在所の上野にいたが、明日名古屋へ戻る時に花を持って行くと約束していると夕暮れ前に刀も差さず、鎌を持って酒を呑んで出かけたが夜が明けても帰って来なかった。
翌3日昼頃、山澄兵部家来用人役衣笠幾右衛門が振甫山側の山へ上野の庄屋小川惣左衛門百姓円七を呼び寄せ、昨夜この山で盗みがあったので殺したと。
その方の村の者でないか見てみろと言うので見てみると茂兵衛であった。
茂兵衛の頭には槍で突き削ったような傷がひ1つ、右の乳の下に槍傷が1つ。
松の枯木を結わえた2束が棒とともに4、5間(1間は約1,8メートル)ほど北に置いてあった。
山守は3人おり、1昨年茂兵衛の兄に奉公していた六介という者ともう1人の2人で木泥棒だと思って殺してしまった。
茂兵衛はつつじの花を取ると鎌を持ちだしたが、縄や棒は持って出なかったと。
茂兵衛には妻と子4人がおり、財産もあるのに枯木など薪を盗むのはおかしいと。
六介に金を貸していたとも。
8日に茂兵衛の死骸を牢屋屋敷へと渡し、塩漬けにする。
しかし、その後何の詮議もなく、六介にも処罰はなかった。