名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-08-21から1日間の記事一覧

確かに縁起でもなくて気になる

元禄17年1月30日。中野又右衛門が死ぬ。42歳、号は夢了庵。脾腎の虚で血尿があり、固まりかけの血が出る。今月初め、佐藤瀬兵衛から借りた又右衛門の屋敷の腰かけに何者かわからない位牌が2つ置いてあった。又右衛門はとても気にしていたと。位牌に…

昔は何を放火に使ったのだろう、灯油みたいなものかな

元禄17年1月29日。亥半(午後10時)、七間町2町目味噌屋喜兵衛家の屋根を燃え抜くが、すぐに消し止める。放火で、竹筒に薬が入れてあったと。深夜、和田十蔵の廊下より火が燃え上がり、隣家にも届く。幸いにして消し止める。火燵から火が出ると。内…

元々極悪人じゃないですか

元禄17年1月28日。申(午後3時)頃、伊勢町杉之町と桜之町の間東側の竹内無右衛門のところへ妹婿何某がやって来る。無右衛門はすぐにこれを切って立ち退く。無右衛門親無遊の婿で参州つつみに住み、無遊の田地を奪おうとしていた。しかし実子無右衛門…

廃墟ビルであるような話

元禄17年1月27日。申(午後3時)前、相原源蔵の物置が残らず焼失する。実は隠居屋であった。水風呂から火が出ると。小麦右の指示で源蔵は遠慮、引込となる。亥半(午後10時)過ぎ、惣河戸に積み置いた葦から火が出る。文左衛門は頭のところへ出かけ…

惨い姿だな

元禄17年1月26日。片端伊勢町の堀の中に6、7歳の非人の子が捨ててある。片方の肘がなく、腰より下もなく、内臓もなし。捨ててから日が経ってるように見えた。この日見つけ出す。

今の時代と詐欺の手口はそんなに変わらない

元禄17年1月22日。橘町裏で勧進能がこの日から始まる。太夫は小松六郎左衛門、ワキは三宅十郎左衛門。六郎は本願寺門跡の太夫と。この日、野々宮の皷を地役者が打とうとすると、そこへ京役者がやって来て打とうとした。色々と争いがあり、3番目の野々…

これは知りませんでした

元禄17年1月21日。昨年冬からおごなし(ノリ)とふのりが品薄で高値になる。昨年、このしろがとても多かった。この魚がこの草を食べるのでこのしろ・きばき(ママ)の多い年はおご・ふのりが少ないと。

ねたまれての失職か

元禄17年1月18日。城附兼松四郎左衛門のところへ用人衆がやって来て、すぐに江戸へ発つはずだが、願い出て江戸へは行かないようにと遠回しに言われた。四郎左衛門はどうしてかと聞くが言ったとおりだと言われる。では勤めも返上するべきかと問いかける…

赤気とは赤い色の雲気

元禄17年1月15日。近頃、日が暮れてから東の方角に赤気が出ると見物する者が多く集まる。あるいは光物で下からツルツルと上るとも。長らく光物の見物が絶えなかった。猿投山の奥から出たと。猿投でこれを見るとさらに東の空にあったと。どことはわから…

このまむし池は池下あたりにあった蝮ヶ池のことかと

元禄17年1月10日。昼過ぎから文左衛門は瀬左・加兵とまむし池へ出かけ、酒を飲み楽しむ。

鶴膝風とは鶴のように膝が腫れる病気です

元禄17年1月6日。寺尾与三左衛門が鶴膝風で死に、跡が絶える。

甘やかしちゃいかんだろ

元禄17年1月5日。今までは建中寺などの名代は夜明け前に勤めていたが、下々は迷惑しているだろうと江戸より申してきたので、今後名代は辰半(午前8時)頃に勤めるようになるはずである。

元禄17年1月の天気です

元禄17年1月1日。晴。巳半(午前10時)、雪がひと降りして止む。晴。風が吹き、寒い。元禄17年1月2日。晴。元禄17年1月4日。夜、曇。夜半から雨が降る。元禄17年1月5日。雨が止み、薄曇。元禄17年1月6日。晴。元禄17年1月11日。…