名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ねたまれての失職か

元禄17年1月18日。
城附兼松四郎左衛門のところへ用人衆がやって来て、すぐに江戸へ発つはずだが、願い出て江戸へは行かないようにと遠回しに言われた。
四郎左衛門はどうしてかと聞くが言ったとおりだと言われる。
では勤めも返上するべきかと問いかけると、用人衆はそれは必要ないと。
まずは江戸へ願い出ろと言って帰って行った。
この夜、酒井金太夫のところへかねてからの約束の通り行くはずであったが、急に病気だと言って行かなかった。
太夫は心配して弟に様子をうかがわせに行かせるが、日ごろから仲が良いのに会わなかった。
このため金太夫は不思議に思った。
昨夜、四郎左衛門は甚目寺を詣でていた。
何事もなく帰ってきたが、急に今日から病気だと引き込んでしまった。
世間では甚目寺への途中で四郎左衛門ははなはだ酔っぱらって歩行の者と口論となり、むねうち(棟打)にしたが自らも大きく額を傷つけてしまった。
このため引きこもったとのことだが、これは嘘である。
昨年江戸で謡始で公が登城された際、人が大勢集まり、側に従う者が離れてしまった。
四郎左衛門の働きがこの時とても良く、このため本寿院様からも褒められた。
そして肴を下されたので、四郎左衛門はこのことを鈴木兵衛に報告し、指示の通り拝領した。
しかしながら、本寿院様に取り入ったとの噂もあった。
今度のこともこれが始まりだと。
この後、願いにより御役御免となる。