名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-01から1日間の記事一覧

1人だけずるいのでは

元禄13年8月29日。様物が2つある。下の場、国奉行・町奉行が拝領する。唯四郎が切る。評定所の詮議で2人が追放となる。元々仲間は3人で2人は追放となる。1人は杉浦益右衛門といい、出雲様屋敷の近くに住んでいた者でこの度は罪には問われず、平岩…

どう考えても残酷なんだけど

元禄13年8月27日。様物があり、市村六郎左衛門のところで猪谷四郎が切る。

法事がらみの行赦

元禄13年8月23日。未2刻(午後1時過ぎ)、地震があり、初めに雷のような音がする。寅(午前3時)過ぎ、小さな地震がある。行赦が2人あり、1人は古渡の材木泥棒であった。

義直の長女です

元禄13年8月22日。この日から翌日まで政秀寺で普峯院様(京姫)の27回忌の法事が行われる。僧は50人、下部(僕)まで支度(食事)を下される。(後略)

寺西図書ってこれこそ乱心じゃないの

元禄13年8月18日。寺西図書が隠居し、名を九平と改める。3000石の内1500石を召し上げ、1500石を息子主馬に下され、志水八郎左衛門の屋敷を下される。信濃守の采配であった。初めの屋敷はしばらく屋敷奉行が受け取っていたが、後に今井甚左…

町人に後れを取るって何

元禄13年8月17日。橘町裏で十三郎の狂言が行われる。夜、寺西図書同心大田伝左衛門が屋敷の庭に筵を敷き、その上で腹を切り、咽を突いて死ぬ。近眼(あさはか?)である。この盆の最中に町人に逢い、はなはだおくれとるような行いがあったと。女の子が…

初期消火、お見事

元禄13年8月16日。日の出過ぎ、籏奉行足軽屋敷の家から火が燃え上がろうとする。すぐにこれを消し止める。申半(午後4時)、火事と言うが嘘であった。

でも召仕は…

元禄13年8月15日。八幡の祭礼が例年通り行われる。

楽しみにしてるんじゃないのかなあ

元禄13年8月13日。廻状がくる。目付は今井源太左衛門。来る15日の八幡祭礼では召仕の者は車に付き添わぬよう堅く申し付けると。先月真福寺で狂言が行われた際、籮木小右衛門の子が狼藉を働く。周りの者がついてやって来る。家が近くになって従兄弟丹…

確認せずに騒いじゃいけない

元禄13年8月12日。巳刻(午前9時)、火事だと騒ぎがある。

今の危機管理マニュアル

元禄13年8月10日。御国御用人津田九郎兵衛のところで寄合衆へ言い渡しがあり、すぐに合札(預かり証)書付を渡される。一 本町門多門の鍵は渡辺半蔵殿のところにあるので、火事の際は門に鍵を持って参ずるはずである。もし遅いようであれば知らせるよう…

罪を償ったということ

元禄13年8月5日。5年前に所払いとなった水道奉行の手代2人が尾張にいることを許される。

それほど捨子が多いということ

元禄13年8月4日。公儀から捨子をしないようにとの廻状がある。

元禄13年8月の天気です

元禄13年8月1日。薄曇。元禄13年8月2日。夜、少し雨が降る。元禄13年8月3日。夜、少し雨が降る。元禄13年8月4日。昨日からますます涼しくなる。元禄13年8月6日。曇。その後、晴れる。元禄13年8月7日。曇。申(午後3時)過ぎると時…

名誉なことなんでしょうね

元禄13年7月25日。大公が下屋敷で田辺太左衛門弟子の鑓を見られる。和田新右衛門・石川三四郎・大田半右衛門。御目見では太左衛門の弟2人・猶村浅之右衛門・田辺平左衛門・吉田新五兵衛。

喜んで大笑いなのか、それとも乱心

元禄13年7月27日。福沢先右衛門の弟子22人の鑓を大公が御覧になる。福留伝右衛門が15人を1度に相手にする。大公が笑われる。とてもおかしかったのか。先右衛門は世の中の表裏をよくわかっていたので百計を案じ、御覧にならなかったことにしてはた…

おお、昨今の株価のよう

元禄13年7月24日。近頃米が安く、手形は9斗ほどであったが、今日急に値上がりし7斗12升となる。

綱誠も早く亡くなり、子も亡くすとはつらい晩年

元禄13年7月23日。4,5日前、石川壱岐伯父の善意が死ぬ。阿部縫殿伯父のため文左衛門は見廻(見舞い)に出かける。善意は初め誠公の御守であった。昨年、子杢左衛門は乱心し、蔵で自殺していた。

ますますダメでしょう

元禄13年7月21日。図書は寄合にも現れず。

そりゃおかしいでしょう

元禄13年7月18日(ママ)。寺西図書が知行や屋敷を返上したいと願い出る。近頃、地ならしなどをしていたが、急に願い出る。近頃、図書は自分の屋敷を町人が4000両で買おうとしていると言っていた。図書はこの金を献上して、自身は淡路の屋敷などを…

焼け残ったのは幸い

元禄13年7月20日。亥8刻(午後11時前)、出雲様(松平義昌)下屋敷側の家から火が出て、10軒余りが焼失する。しかし、下屋敷は無事であった。このうち3軒は2月の火事で焼けた家で、この夜焼け残った家は近頃工事を始めたばかりで、昼に棟上げ、…

家の大きさで差別するな

元禄13年7月18日。辰(午前7時)前、呉服町本重町と蒲焼町の間東側で3間(1間は約1,8メートル)に足らない家1軒が焼失する。2階から火が出ると。1階は大方引き崩してしまう。梅昌院様御賄村田治兵衛の借家で留守にしていたと。文左衛門は巳刻…

頼母子だって金が回らなくなる

元禄13年7月16日。藤田弾蔵頼母子が潰れたと。一色甚右衛門から返事が来る。道理に背き、卑しいこと甚だし。取るに足らないことだけれど彼の者が得をしようとしたのか。今後、頼母子一切止めるべきか。

これだけかよ

元禄13年7月15日。月食。

返せば済むことなのに

元禄13年7月14日。子刻(午後11時)、田村八之右衛門が疱瘡で死ぬ。年は28。山内半三郎家老が自殺する。酉半(午後6時)、丹羽又左衛門僕が渥美源兵衛僕に長屋で切り殺される。以前、源兵衛僕は又左衛門僕に物を借りていた。この日夕方頃、源兵衛…

忖度

元禄13年7月12日。出雲守様(松平義昌)の娘で23になる稲姫様と伊東出雲守(出雲守様を憚って大和守と改める)の息子駿河守との縁組が整う。

今年限りなら固いことを言わなくても

元禄13年7月11日。近頃、下条庄右衛門御用人一色伝右衛門が家老に呼ばれ、町奉行を(欠字)。公の家老に呼ばれ、簡略も今年限りなのでますます慎むように。その他には志村忠左衛門らも呼ばれていた。近頃世間では遊興に溺れ、船遊びなどして騒いでいる…

そりゃ主人にも責任がある

元禄13年7月10日。伊豫守組水野元右衛門が大須へ出かけ、泥酔してしまう。帰りに矢場のあたりで刀を抜いたと。連れは仲間河野猶右衛門たちで、伊豫守養子を祝うため簡略目付に届けた上でこの日仲間を呼び出し、大酒を呑んでいた。伊豫守がこれを聞いて…

蚊取り線香みたいなものですかね

元禄13年7月7日。子(午後11時)過ぎ、巾下五平蔵町天神の側から火が出る。裏屋と共に10軒が焼ける。本屋は8軒であった。一人住まいの米屋の母親が蚊を燻っていたが、その火が紙帳(紙の蚊帳)に燃え移ったのを知らずに火事となる。

綱誠の夭逝した娘

元禄13年7月6日。この日から明日まで建中寺において知法院様(喜知姫)の3回忌の法事が行われる。