名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

こういういざこざや部下を思う気持ちがないと心は離れていく

元禄15年1月6日。
津侯(松平義行)は江戸で伝右衛門の役を解かれたの聞いて不審に思われると。
それならば津侯の意向ではないのか。
岩之丞様(吉通の弟で本寿院の子)を養子にされなかったことを本寿院(吉通生母)は立腹していた。
津侯は万三郎様(綱誠の子)を養子にしており、公のはからいで市谷へは先に入られ、そこを後にしようと願い出たが、本寿院様の意向で叶わなかった。
津侯と本寿院様の間には老中達でもどうしようもないことがとても多かったと。
そのため伝右衛門1人に責任を負わせこの如くと。
昨年冬、万三郎様は江戸へと向かわれた。
供の者はとても迷惑し、混乱することもとても多かった。
江戸へ着くと小塩与五左衛門にはその夜の落ち着き先もなく、他にいることになった。
医師らは長屋に入ったが、食事の準備もなく、翌日昼の品川まで食事をとることができなかった。
今月2日に与五左衛門が帰って来る。
万三郎様から金2分が下される。
こちらでは600文あまり下される。
足軽は江戸で2朱ずつ、中間には300ずつ下される。
罵る者が多かったと。
鍛治屋町で小さな火事があるとのこと。