名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-08から1日間の記事一覧

いつの世も人付き合いは難しい

沢井楓軒は昔からそれとなく人の気を引くのが上手であった。人にこびることを楓軒のようだと言っていた。初めは竹腰信濃守の隣であることを吹聴し、毎年新茶を必ず振る舞っていた。また夜な夜な殺生などと称して贈物をしていた。これにより養子与三右衛門は…

庄屋に恨みでもあったのか

元禄13年12月28日。近頃、上条村の側鳥居松の百姓が持仏堂にいた庄屋兵八の首を切り落とし、自害する。近頃、矢田の百姓が首を吊る。

年末は現金が必要

元禄13年12月27日。文左衛門は米屋利左衛門に米7斗9升を替える。正月中までに12石ばかりを売る。

かなりの高給取りなのにだらしないなあ

元禄13年12月25日。41になる横井十郎左衛門が隠居する。1000石は惣領作之進、300石は次男に下される。(中略)十郎左衛門には色々と噂があった。但馬様(松平友著)の供をして、恵恩院・天王坊・長久寺などへ岩田八左衛門らと出かけた。そこ…

釜といっても炊飯用じゃなくて米の貯蔵用

元禄13年12月24日。丑半(午前3時)、杉村久国寺側の農家1軒が焼失する。文左衛門も杉村まで出かけようとしたが、すぐにおさまったので引き返す。中村又蔵百姓理右衛門の家で、申年9月17日に火を出していた。この時、盗人が関加兵衛の庭の釜の上…

そんなに財政が厳しいのか

元禄13年12月21日。家中諸士簡略(倹約)のことについて最近定めた新法で改めるよう言いつけられた条々。一 面々召仕のことについてはかなり減らしてきてはいるが、今後はさらに減らし、国において供をする者についても同様とする。一 250石以上の…

貰えるものは貰いましょう

元禄13年12月19日。馬飼料(馬の飼育料)を下された輩に今年は2分米などを返し下されることはないけれど、それぞれ困窮しているので今年は馬飼料を下されると評定所で国の用人が言い渡す。

所払なら罪が軽すぎるような

元禄13年12月17日。横井半兵衛に払木の金を遣わす。今日、明日の5ツ(午前8時)から7ツ(午後4時)までに遣わすようにと。8日か9日に書付が来る・阿寺山は一抱で1両と6匁8分。源太は一抱えで2分。近頃、てこ(手子)の庄兵衛が自宅に子ども…

年末に大変だなあ

元禄13年12月14日。仲間が口米を差し上げる。文左衛門は金で4両差し上げる。1両で7斗4升となる。

文左衛門は取れない

元禄13年12月7日。永井善右衛門の頼母子は広瀬藤右衛門が取る。

やっぱり止めてない

元禄13年12月5日。佐分利源太左衛門の頼母子は田村曽右衛門が取る。

まだまだ穏便は続く

元禄13年12月11日。水戸中納言様逝去により寄合が急に中止となる。廻文がある。一筆申し入れる。水戸中納言様は去る6日の暁に逝去なされたので、この日から17日まで音曲鳴物は中止し、穏便と老中が伝えられたので、その意をよく心得るように。恐惶…

やっぱり光友って長生きだった

元禄13年12月8日。この日から10日まで建中寺において霊仙院様(光友正室)3回忌の法事が行われる。穏便の廻状があるが略す。

寒くはないのかなあ

元禄13年12月5日。49日の読経二百部が辰刻(午前7時)から行われる。僧は220人、殿様より。先月14日から今までの法事で、17日と18日は袱紗、その他は皆熨斗目を着用する。

時代が変わろうとしている

元禄12年12月2日。寄合・年寄衆から列座の者まで支度(食事)が用意される。精進が拵えられる。45年絶えてないことであった。

元禄13年12月の天気です

元禄13年12月4日。昼から雨が降り出す。元禄13年12月5日。雨が降る。元禄13年12月16日。曇。巳半(午前10時)過ぎから雨が降り出し、1晩中降り続く。明け方前に止む。元禄13年12月17日。雨が止み、薄曇となる。暖かい。元禄13年…

そりゃ恥ずかしくておれないわな

元禄13年11月28日。67日の施餓鬼が辰刻(午前7時)に始まる。僧は30人、殿様より。読経一部が巳刻(午後9時)に始まる。僧は35人、松寿院様より。近頃、宮田の番所で浅野与次右衛門の足軽が乱心し、同じ番の仲間2人に傷を負わせて立ち退く。…

こりゃちゃんとしたお仕事

元禄13年11月27日。文左衛門は寄合に出たが、政右に頼んで昼前から源右へと出かける。口米の帳面を確認し、1時半(約3時間)で終える。

そりゃ急ぎの修理もあるだろう

元禄13年11月10日(ママ)。廻文がある。切紙をもって申し入れる。穏便の時期ではあるが急ぎの修理などは行ってもよい。その他のことは勿論今までの通りと心得るよう老中から申し渡してきたのでその意を理解するよう。以上。11月10日。冨永金七。…

どうして天守の上層なんだろう

元禄13年11月25日。この日、天守5重目へ大公が日頃少しも身から離さなかった神道の書物を1箱納める。人足らがこれを改め、六郎左衛門ならびに佐之右・武右等が罷り出る。

区切りをつけるのかな

元禄13年11月22日。建中寺・性高院末寺一行院・養林寺末寺立松院が隠居を願い出る。建中寺は瑞龍院様百ケ日が近いので勤めることに。

続いてます

元禄13年11月21日。35日の読経が行われる。二百部、辰刻(午前7時)に始まる。僧は220人、殿様から。津侯(松平義行)・但侯(松平友著)・松寿院様が参詣する。津守様は建中寺より直接巳刻(午前9時)に発籠され、池鯉鮒(知立)に泊まられる…

頼母子なんてもうしないと言っていたのに

元禄13年11月20日。文左衛門は昼から平左へ頼母子に出かける。すぐに取る。

一緒に済ませばいいってもんじゃないようです

元禄13年11月18日。読経一部が巳刻(午前9時)に始まる。僧は35人、但馬様(松平友著)から。但馬様は読経の前から詣でられ、読経が終わって帰られる。

まだまだ続くんですね

元禄13年11月17日。読経一部が巳刻(午前9時)に始まる。僧は35人で、六郎様から。

はれて日常生活に戻れる

元禄13年11月16日。行赦16人。初月の忌が行われる。施餓鬼が辰刻(午前7時)に始まり、僧は50人。これは殿様より。読経一部が行われ、僧は38人。これは出雲様(松平義昌)より。家中の輩は足軽頭以上が参拝する。香奠を差し上げ、家老は10枚…

今でもそうですが7日ごとに法事があります

元禄13年11月14日。瑞龍院様47日の読経一部が行われる。卯中刻(午前6時)から始まり、僧は50人。これは殿様が仰せ付けられたもの。読経一部が行われ、午中刻(午後0時)に始まり、僧は38人。これは津守(松平義行)が仰せ付けられたもの。午…

鯒は骨が固いはず

元禄13年11月9日。近頃、元禄9年に召し出された但馬様(松平友著)歩行諏訪部逸平は鯒(こち)の骨が喉に刺さり、2,3日して死んでしまう。

法事の間は剃れない

元禄13年11月8日。諸士は月額(月代)を剃る。大公衆は30日まで。

ご苦労様でした

元禄13年11月7日。この日で法事は終了する。5日間。