名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今の時代と詐欺の手口はそんなに変わらない

元禄17年1月22日。
橘町裏で勧進能がこの日から始まる。
太夫は小松六郎左衛門、ワキは三宅十郎左衛門。
六郎は本願寺門跡の太夫と。
この日、野々宮の皷を地役者が打とうとすると、そこへ京役者がやって来て打とうとした。
色々と争いがあり、3番目の野々宮は半分で蝋燭を出す。
残りは中止となる。
平岩久兵衛の嫡母である前の妾は今は暇が出て、よそに住んでいた。
今の妾がこの日能見物に出かけた。
芝居で前の妾が見つけて、今ここで会ったのは幸いである。
お前は前は自分の召仕の女であるのに、わが子を疎かにし、自分の方にくるはずの扶持も奪って自分の親類に与えている。
すぐに行ってこの怒りをぶちまけてやろうと思ったけれど、わが子ために時が来るのを待っていたと罵り、叱ったと。
お前が言うことを聞かないのであれば引き裂いてやると大声を出してしがみついた。
人々はこれを宥めた。
芝居から出て、若党と下女は今の妾を連れて南寺町の町屋へ急いで入った。
前の妾は今の妾を追って長者町下千手院へやって来て、罵り叱りつけて髪をほどいて衣を引き裂いた。
若党が1人付いていたが、さすがに実子の母親なので粗末には扱えず、何とか宥めたと。
小野寺善左衛門嫡の平右衛門は生まれながら鈍かった。
召仕の男たちはだまして金を盗ろうとした。
昨年冬、平右衛門は毎晩観音の夢をみていた。
ある夜の告げに明日屋根の上に餅があるのでこれは福であると云々。
翌日召仕を上らせて餅はなかった。
戻ろうとして振り返ると白い餅があった。
この日から夢は途絶えず、いろいろな告げがあった。
棚の上に白い鼠はいると言えばはりぬき(張り子)の十文の譜帳のある白鼠があった。
熱田へ詣でろとの夢をみて詣でてみると途中でまた餅を得た。
伊勢を詣でよとの夢が度々あり、父に訴えた。
父は信心してこれを疑わなかったが、時間もないのでどうすればいいかと七ツ寺の住持に相談すると代参りでよいのではないかと云々。
その夜の夢では代参りではなく自分で参るようにと。
このため佐屋へ行き、出発しようとすると夢で海上を長舟(大型の箱舟)で行くようにとのことで長舟で出かける。
金子8両を遣わし、神前で拝すると扉を開けて中に仏像のある木綿地の青地今織の守り袋を下される。
召仕が白洲で米の穂を得、それを拾おうとするとなかった。
戻って話をすると袖から籾が10粒あまり落ちた。
善左衛門を始め隣の者はこれを信じて、諸士などは上下などを着て身を清め、女童などは十二灯などを奉り、この守袋を頂戴した者が多かった。
善左衛門の同僚佐伯理兵衛も上下を着て守袋を頂戴した。
この他夢の話はきりがなかった。
22日には銀を与えると7分のまめいた(豆板)を得た。
この後謀が明らかになり、僕を問い詰めた。
かしこまって餅は柏屋で買い、守袋は何某の小間物屋で求めると。
白鼠は出ると言って出ないのでは気がかりなので母の(ママ)が置いたと。
池田屋、菓子屋に80匁ほどつけがある。
善左衛門は阿部縫殿殿の同心であった。