名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-28から1日間の記事一覧

そりゃ使いより直接言われた方がうれしい

宝永1年11月28日。公は中納言に昇進する。前々は昇進は上使から言いつけであったが、今回は直に仰せつけられる。今までないことなので公はさらに喜ばれる。上卿は徳大寺大納言、職事は中山頭中将。夕食後、文左衛門の自宅で頼母子会。九太夫の妻が得る…

将軍様からの心遣い

宝永1年11月27日。申(午後3時)前から文左衛門は加兵へ頼母子に出かける。瀬左と半九の2人組が得る。江戸において公の小結(こゆい)解の祝いがあり、廻文がある。切紙をもって申し入れる。先月27日に前髪の儀を執り行い、滞りなく済まされた。こ…

やっぱり身内の犯行だったか

宝永1年11月26日。野々山平太夫がその夜連れていた僕関助が牢に入る。悉皆人(家中を取り仕切る人)近藤半七、中間力助の両人は平太夫兄相原一郎兵衛に逃がさないようにするようにと。助之右衛門召仕長右衛門も介之右衛門に逃がさないようにするように…

またダメでしたか

宝永1年11月25日。巳(午前9時)前、文左衛門は頼母子会のため瀬左へ出かける。石川理右が得る。

なかなか文左衛門は得ることができない

宝永1年11月23日。夕飯後、文左衛門は15両の頼母子会に出かけ、瀬左と服部源兵が得る。

年末は頼母子のシーズンです

宝永1年11月22日。夕飯後、文左衛門は勘八へ頼母子に出かける。金石と孫四が得る。近頃、札に先月12日夜切られた又八は最初訴人(目明し)をしていたとある。

確かに怪しいなあ

宝永1年11月19日。作事奉行河村丹左衛門手代9人は今まで町屋に住んでいたが、今度吟味役足軽の元屋敷を下される。この日、屋敷奉行が屋敷を渡す。禅寺町下にあり1人160坪ずつ。この昼から寄合切米80石5人扶持の53になる野々山平太夫は高岳院…

なぜ返してくれないの

宝永1年11月17日。石黒三郎左衛門前の片端の堀の南岸下に脇差1腰があり、武平町の辻番がこれを見つける。すぐに城代衆へ知らせる。その後、寺尾次郎左衛門僕が朝岡甚五右衛門のところへやって来て言うには、昨夜牛込茂右衛門のところへ江戸からやって…

日食の次は月食

宝永1年11月15日。月帯食(月食の状態で月が出たり沈むこと)。4分で酉(午後5時)に。

偽物ではありませんってこと

宝永1年11月13日。文左衛門は役料の裏判を取る。

何をしでかした

宝永1年11月14日。評定所東屋敷へ中間1人が入る。後に下の牢に入る。

わざわざ壊さなくていいのでは

宝永1年11月12日。成瀬松軒が死ぬ。73歳、初めは豊前守、後兵部となる。屋敷は後に買い足した土地で、その地に建てた家などは壊し、表向きの屋敷は残しておく。翌月中旬、屋敷奉行が請け取る。戌(午後7時)前、小さな地震がある。

かなりの美人だったのであろうな

宝永1年11月9日。未(午後1時)前、相応寺西の片町屋の裏家で火事があるが、すぐに消し止める。同じ時刻を少し過ぎた頃、坂下禅隆寺の向かいの町家から火が出るが、すぐに消し止める。放火かと。破風から燃え上がると。近頃、奈(納)屋裏で絹きら(マ…

金を付けて娘を嫁に出すのも親心かも

宝永1年11月7日。夕暮れごろ火事だと騒ぎがある。夜、渡辺八郎右衛門と野々垣源兵衛の娘との婚礼がある。この娘は冨田が離別した者で金100両を持参する。

連日の日置村での火事

宝永1年11月3日。申半(午後4時)、日置村で火事だと騒ぎがある。

これも被害はあまりなさそう

宝永1年11月2日。未明、日置村で火事があるが、すぐに消し止める。

9分も欠ければかなりの日食

宝永1年11月1日。9分の日食で、申の初刻(午後3時)に西の方が欠け始まる。申下刻(午後5時)には最も欠ける。半分欠けて日は沈んでいく。西国では元に戻ってから日が沈む。

宝永1年11月の天気です

宝永元年11月1日。巳(午前9時)過ぎて曇る。昼半(午後1時)しばらく雨が降る。その後段々と晴れる。夕暮れ後、地が2、3度揺れる音が聞こえる。稲妻もあり、雷かとも。宝永元年11月5日。巳(午前9時)過ぎて曇る。未(午後1時)前から雨が降る…