宝永1年11月27日。
申(午後3時)前から文左衛門は加兵へ頼母子に出かける。
瀬左と半九の2人組が得る。
江戸において公の小結(こゆい)解の祝いがあり、廻文がある。
切紙をもって申し入れる。
先月27日に前髪の儀を執り行い、滞りなく済まされた。
この祝儀には同日上使稲葉丹後守殿に2種1荷持たせて寄こされた。
翌日、登城するようにとのことで登城されたところ、対面、歓談なされ、自ら熨斗を進められ、その上備前国宗代金30枚の刀を拝領した。
その後中納言への昇進を大変喜ばれ、ご機嫌であったのでこのことを家中の輩に触れるようにと江戸から申してきたので支配の衆に聞かせるように。
以上。
12月1日 都築弥兵衛 河村九郎右衛門。
両城代殿。
その上は先へと廻し、弥兵衛のところへ戻すように。