名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-05-15から1日間の記事一覧

勘違いから大騒ぎ

元禄14年4月28日。新町糸谷半九郎が町内に預けられる。近頃、近所の子たちが半九郎裏へ紙鳶(凧)が落ちたからと、裏の脇道から大勢が入り込んだ。ここには梅の実があったので、盗みに来たかと裏の借家の者たちが出てきて子たちを叱りつけた。半九郎も…

臭い物にはふたをしましょう

元禄14年4月27日。卯上刻(午前5時)、下屋敷比丘尼住居で中間小屋番肝煎磯右衛門という者を平中間権助が卯(午前6時)過ぎ寝所へ押しかけ、紙帳(かや)越しに頬から切りつける。そして直ちに立ち退く。磯右衛門はいまだに死なず。詮議が行われる様…

養子縁組は難しい

元禄14年4月25日。鉄砲塚町古物屋又右衛門の戸が縛られる。向かいの吉左衛門の戸は閉ざす。これは3年前、又右衛門の借家を吉左衛門が親類の紺屋に借りさせようとした。その時又右衛門は昔から紺屋には貸さないと言って貸さなかった。にもかかわらず最…

これは怪しい

元禄14年4月24日。内寄合(奉行の会議)がいつもの通り行われる。後藤弥次右衛門は病気のため現れなかった。一昨日の22日、城において大曽根の道具の改が行われた。この時から急に弥次右衛門は家を出なくなったと。

この日から文左衛門は京・大坂へ出張

元禄14年4月23日。明け方、文左衛門は尾張を発つ。熱田まで駕籠で行き、辰半(午前8時)熱田へ着く。船に乗り、昼前桑名に着く。船中の給物(頂き物)を持参する。

死ぬことはないでしょう

元禄14年4月22日。田頭文助が自殺する。兄權平が道中で死んだのを聞いて、今後伯父九左衛門に面倒を見てもらのは難儀だと思い、自殺したと。

たいしたことはなかった

元禄14年4月21日。夕暮れ過ぎ、火事だと。長者町下の小部屋が焼ける。

文左衛門はこういうところは潔癖

元禄14年4月17日。祭礼が例年通り行われる。辰(午前7時)過ぎに始まり、午半(午後0時)過ぎに終わる。(中略)この年からまた雷の山車が出る。連枝様(兄弟)は残らず桟敷で見物なさる。桟敷と年寄衆の前で馬上の士は全員下馬する。八三様がせっか…

東照宮祭の幕開け、前日祭の舞楽奉納

元禄14年4月16日。舞楽が例年通り行われる。

これは結果が知りたい

元禄14年4月15日。町人鬼頭喜兵衛は借金がかなりあり、町へ御預けとなる。7月前に出した延米金が1600から1700両あった。平田にも800両借りていた。喜兵衛は以前蟹江四郎左衛門の子新蔵を養子にしていた。山本甚五左衛門の娘を養い、引き合…

助馬や助人足は宿駅で馬や人足が足りなくなった時に周りの村々から徴用されました

元禄14年4月14日。廻文がある。切紙をもって申し入れる。中仙道を通る場合、今まで定の伝馬、人足では不足した場合は所々から助馬・助人足を出していたが、木曽路11ケ村困窮のため村々から公儀に願いがあったので、今後は定の通り伝馬25疋、人足2…

放火にしては罪が軽すぎる

元禄14年4月9日。先日放火をした杉之町通本町と長者町の間で戸を縛られた町代を含む4人、釘付3軒のうち、釘締の1人はこの日許される。残り6人は牢に入る。 なぜひとりだけ赦されたのか。

迷惑な酔っ払いだなあ

元禄14年4月8日。5,6日前、松平若狭守家来が伝馬町で馬が良くないと馬子を叱りつけ、鼻ねじで叩き、踏みつける。それでもおさまらず、馬子に良い馬でもないのに払い過ぎたから手形を書けと言う。馬子は町奉行に伺いをたてると、町奉行は手形は必要な…

物の道理が大切

元禄14年4月7日。近頃、赤穂家中はひとつとなり、領内に他領の者を入れなかった。城の受け取りに脇坂淡路守・木下肥後守が向かった。赤穂家中では思うところがあるが、内匠一家の左門などはこれをよく諭した。内匠の喧嘩の始末であるならば相手も無事で…

役職手当

元禄14年4月3日。文左衛門は御役料を手形で払われる。1両で7斗9升4合、全部で16両3分に銀3厘。

こういうことってあるんですか

元禄14年4月2日。この日と翌日、万松寺で桃岩(織田信秀)150年忌が行われる。3月に行うはずであったが大衆(僧)が集まらなかったので、先に延ばされていた。

本当によく狂言や操りがよく行われる

元禄14年4月1日。尾頭で和泉屋十三郎の狂言が行われる。

元禄14年4月の天気です

元禄14年4月1日。曇。段々と晴れる。風が吹く。元禄14年4月2日。曇。時々少し雨が降る。元禄14年4月3日。曇。夜になり、時々雨が降る。元禄14年4月4日。曇。雨が降り、未(午後1時)過ぎからさらにジメジメする。元禄14年4月5日。雨が…