元禄14年4月25日。
鉄砲塚町古物屋又右衛門の戸が縛られる。
向かいの吉左衛門の戸は閉ざす。
これは3年前、又右衛門の借家を吉左衛門が親類の紺屋に借りさせようとした。
その時又右衛門は昔から紺屋には貸さないと言って貸さなかった。
にもかかわらず最近ほかの紺屋に借家を貸した。
吉左衛門はこれを聞いて怒り、又右衛門のところへ行き、又右衛門を踏みつけた。
吉左衛門弟喜兵衛も近所にいたのでこれを見て、又右衛門を踏みつけて帰った。
このことはすぐに町代の耳に入り、吉左衛門に子細を尋ね、理不尽であると咎めた。
吉左衛門は誤りを認めて詫びを入れるが又右衛門は聞き入れず、奉行所に訴えた。
その後奉行所から又右衛門を呼びに来たが、仮病をつかって出て行かなかった。
きっとわけがあるはずである。
その他、書付に3年以前のことを5年と書くなど調べがあまりにお粗末であったので色々と考えた上でこのごとく。
後に2人とも許される。
松寿院様歩行近沢丹左衛門が暇を下され、屋敷を召し上げられる。
城下御構(立ち入り禁止)を仰せ渡される。
丹左衛門養父安右衛門は年取るまでは働きぶりもよく熱心であったが、子が乱心し、その上老いによる衰えもあり役儀勤めがたくなり、丹左衛門は他人ではあるが養子の願を済ませていた。
跡役ならびに居屋敷ともに昨年の冬に下されていた。
しかし丹左衛門は親不孝であったので、養父安右衛門入道はそのことを三之丸目付方へ訴状を差し上げた。
江戸へ申してきてたのでこのごとく。