名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

文左衛門はこういうところは潔癖

元禄14年4月17日。
祭礼が例年通り行われる。
辰(午前7時)過ぎに始まり、午半(午後0時)過ぎに終わる。
(中略)
この年からまた雷の山車が出る。
連枝様(兄弟)は残らず桟敷で見物なさる。
桟敷と年寄衆の前で馬上の士は全員下馬する。
八三様がせっかくだから馬に乗ったまま通るようにと仰せになる。
矢嶋伴右衛門がこのことを目付佐分伊左衛門に話をする。
伊左衛門は評定所へ出かけてこのことを相談するが、また前のように下馬する。
文左衛門はかばやき町東南角、間口3間半(1間は約1.8メートル)の空家を市兵衛命じて3分300で借り、一家で出かける。
市兵衛は5匁、せいろう(蒸し菓子)2つを桟敷に届ける。
今後はこのような無心を市兵衛には頼まないつもりである。
かつ桟敷のことも文左衛門は見物には行かないので、用意しないつもりである。
夜、禅寺町下で野呂瀬半右衛門組足軽が小頭の子足軽を切って立ち退く。
横ばち(鉢)(頭の横)を半分、右の手を打ち落とし、腰なども切っていた。
堀を落ちて死んでいた。