名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

見て見ぬふりはいけません

元禄16年1月26日。
近頃、喜知姫様の中間が下屋敷の堀で投網を仕事と偽って打つ。
押の者が詰問し、牢に入る。
近所の辻番はこれを咎めなかったと叱られる。
近頃、野呂瀬紋左衛門家内が石谷浅之右衛門の法事が木賀崎であるので参詣する。
その留守には門左衛門の妹が1人いた。
朝、風呂敷包みに着るもの入れて担いで1人で忍び出る。
玄蕃のところへ入り、男嫌いで逃げて来たので奉公したいと言うが取り合ってもらえなかった。
そこから東の飛騨守のところまで家ごとに入ったがどこも取り合ってくれなかった。
高木志摩へ行き、わけがあるのかと問い詰められて事情を話した。
このため志摩から毛利才左衛門のところまで聞きに行かせた。
そうこうするのを妹は見ており、密かに志摩のところを出て、松井与兵へと入った。
志摩は妹探すが見つからず。
与昭衛は町へ僕に命じて送り出した。
そこから鍋屋町へ来たのを野田郷右衛門乳母が見つけ、郷右衛門のところへ連れて行く。
郷右衛門は妹の伯父であった。
初め妹は野呂瀬又右衛門に嫁ぎ、仲がよかったのに紋左の亡き父義右衛門が取り返した。
これを聞いて妹を紋左衛門のところには返さず、郷右衛門のところに留め置いた。
そして又右衛門のところにもう一度嫁がせることとした。
義右衛門の後家は小沢水右衛門の娘で紋左衛門妹の継母であった。
近頃、紋左衛門は継母と通じ、妹に辛くあたったと。