2023-06-18から1日間の記事一覧
文政5年9月19日。夜、桜の町坂白山の前で女が殺される。切ったのは村田屋甚八、40才計り。切られたのは矢場うとん屋娘さと、24才。甚八は納屋に住んで質屋などをしていたが、倒れたので熱田にいた弟のところに居候していた。
文政5年8月28日。この頃、日中の長雨で伊勢町蒲焼町上る東側の鍵屋貞吉という者の座敷の壁に親鸞上人の像が浮き出る。母は信者であったので騒いだとのこと。29日に見てくると、何かはわからない形であった。30日には乾いてしまったと。本当に上人で…
文政5年8月。上旬、伊藤次郎左衛門の前に捨子があり。この日、鈴木多門治の前にも捨子がある。
文政5年8月14日。夜5時(午後8時)、橘町吉良屋某から火が出る。9軒が焼失し、7軒を壊す。9半時(午前1時)に鎮火する。この時、運水組の者が同心に殴られ、こちらも仕事中だと水を浴びせると、同心には全くかからず、町奉行の田宮殿にざぶんとか…
文政5年8月4日。夜7ツ(午前4時)過ぎ頃、日置はざま山神通より半町(1町は約100メートル)ほど東から東の突き当りまで丸焼けとなる。残ったのは北側の植木、南側の小屋と土蔵だけであった。
文政5年7月7日。大雨。
文政5年6月。小納戸林与左衛門が切腹となる。癇症(癇癪持ち)と。
文政5年6月。この月から定日飛脚(決まった日数で運行)を中止となる。4の日の御用便り(公用便)となり、町飛脚はなくなる。
文政5年年〔月〕22日。熱田神宮に御芦を献ずる船祭りが行われる。東脇(浦)で行われる。御芦は太子善福寺仲町。新堀筋を通る姿は素晴らしかった。船3艘の姿は津島のようで見事であった。
文政5年6月15日。天王祭りの日、山澄将監殿屋敷の外にある大松が風もないのに折れると。天王社の木であった。
文政5年6月17日。朝、堀に身投げがある。
文政5年6月14日。朝、関東の巡礼者450人がまとまって通る。
文政5年6月12日。朝、地震があり、昼8半時(午後3時)過ぎから大きな雷が鳴る。同13日、雷が鳴る。風雨が激しく、6(午前6時)前頃、古渡橋西杁普請場で落雷で火が出る。鳥(烏)森あたりにも落ちる。マデ(ママ)
文政5年6月1日。巾下祭りは雨のため順延され、2日に行われる。人形が全て出来上がる。万松寺の山車がこの年完成する。
水野代官所の愛知郡一色村大番組江原富三郎の百姓惣庄屋佐蔵今年30才、女房きり今年21才に倅千代吉が7月7日に誕生する。人相書(この者、天保2年の相撲の際、土俵入りを始める。11歳で一色山という)目方は5貫目(1貫は役4キロ)あまり、背丈は…
文政5年5月6日に江戸を出た書付。先月下旬ころから相州浦賀の海上に異国船が現れたとの知らせがあったので、その対応に浦賀の岬へ松平大和守を、房州に岬へは松平越中守を差し向け、もっぱら海からに備えていたところ、この船先月28日に浦賀に到着した…
文政5年5月20日。この頃のことだろうか、新田あたりで家の灰部屋と雪隠を東向きに造ったのに、夜の間に西向きになったと。
文政5年5月25日。津島の宮から東へ1町(1町は約100メートル)ばかりにある大松の小股が風もないのに折れると。奇妙なことであった。
文政5年5月28日。夜5半時(午後9時)、桜の町筋大津町と鍛冶屋町の間で火が出る。
文政5年4月21日。夜、巾下ほうろく町角合羽屋で家内の道具が残らず焼失する。
文政5年4月14日。曳き初めは雨天のため翌15日となる。17日、車の曳き出していたところ大雨となり、片端に並べ、猩々は富永の角、弁慶は横井の前に、伝馬町宮町は御園割出しに置く。朝5半(午前9時)頃延期となり、木綿幕や古幕で曳き戻し、はなは…
文政5年4月12日。7時(午前4時)、万松珍牛和尚が亡くなる。5月10日、葬式が行われる。大光院から万松寺へ行列はとても見事で見物人が群れ集まる。(朱書注)5月10日、珍牛和尚の遺体は川名山で火葬を済ませ、骨を万松寺に納める式は4月12日…
文政5年3月。堀川の花が段々咲き始め、今年は大賑わいとなる。水茶屋、料理茶屋、菓子屋が軒を並べる。(中略)桜の間には茶屋が2軒ある。上の茶屋は黒のれんに白抜き、そこに吉と染める。水引のれんはうす花色に丸に沢瀉(オモダカ)の朱紋、黒い縁の御…
文政5年3月13日。昼7時(午後4時)過ぎから大雨となり、大きな雷が2つばかり鳴る。
文政5年3月。中旬、栄国寺で善光寺常灯明の供養が行われる。
文政5年3月11日。熱田で舞楽が行われる。今年は太鼓が出来上がると。(昔からの太鼓は古いものであったので神庫に納める)。
文政5年3月。上旬、本町広小路の橋が架かる。
文政5年3月2日。夜4半時(午後11時)、石町杉村匠作から出火したとのことで、急いで行って見てみると火事ではなかった。風呂の火が大きかったためである。笑い種である。
文政5年2月。千両富(富くじ)が始まるが、人が集まらず中止となる。(小富とともにしばらく休む)
文政5年2月20日。夜、光り物が200ほど現れたと。