青窓紀聞
文政11年。一 町触の写。家中の輩に倹約を言いつけられた衣服については別紙の品の他は用いず、羽二重・絹・紬・木綿、これに準じる品については脇書の値段より高価な品の売買を5ケ年の間領内では禁止と言いつける。このことをきつく心得るように。ただし…
一 町触の写。この度家中の輩に5ケ年の間格別の倹約を言いつけられたので、町々の者どもももっぱら粗末な服を用い、日ごろから仕事に精を出し、遊芸など嗜むことがないよう倹約に励むよう言いつける。ついては去る酉年に町中へ別紙の通りの箇条書で伝えたが…
文政11年。一 10月28日、次の品物の細かい内容について御目付から触が来る。一 羽二重とそれに準じる品。羽二重、茶丸、数寄屋縮、絹上布、絽、官紗、仙台平、無地縮緬、縞縮緬、紋縮緬、山舞入龍門、京八丈、七子、縞七子、飛紗綾、畝織絹、結城縞、…
一 倹約の件につき次の通り。家中の輩始め皆に倹約を言いつけられたが、世間では身のほども知らず、贅沢な衣服などを用い、良くない行いもあると聞こえてくるのは不届きである。この度厳しく倹約を言いつけられ、別紙のとおり申し渡すので心得違いのないよう…
文政11年。振廻(振舞、供応のこと)の定。振廻のことはかねてから言いつけられている通り、贅沢であるので一切中止するように。もしやむを得ぬ場合、集まった人への食事は一汁二菜、酒の肴は2種類までとする。もちろん高値の品などは出さず、酒は何杯も…
供の者の定。大寄合、ならびに3000石以上の輩、平常は侍2人、槍、挟箱、草履取。年頭は徒2人、侍2人、槍、挟箱、草履取、長柄。御側御用人始め御用列以上、平常は侍1人、槍、挟箱、草履取。年頭は侍2人、槍、挟箱、草履取、長柄。御用列以下、太刀…
文政11年。衣服の定。万石以上、年寄中、両家嫡子、年寄列、御城代、山村甚兵衛、千村平右衛門、この輩は定の制約にはとらわれず。大年寄以下、物頭以上、この者は羽二重より上の衣服は着るべからず。肩衣、袴などもこれに準じる。物頭以下、御徒格以上、…
文政11年。10月下旬、厳しく倹約を申し付けられた触などの写し。御家中には倹約のことを引き続き申し付けられる。去る酉年にも申し付けたところではあるが、不行届きなこともある。特に衣服を質素にするために天明の年の制限を取りやめたところ全て上手…
文政11年。9月8日早朝、本町三丁目吉島屋佐兵衛の12歳になる娘を17歳になる丁稚が咽を突いて殺そうとし、自分は蔵の中へ入り、自害し死んでしまう。娘は半死半生で、この女が死んでしまったなどの噂も多い。9月□(ママ)日、秦源兵衛弟が腹を切る。…
文政11年。6月10日、鈴木丹後守殿の家老の何某の召仕中間が上屋敷の長屋で首をくくって死ぬ。4日前に暇を出されたので、その当てつけに死んだとのこと。若宮の車の中で住吉町の車は幕、高欄、人形、天井などを取り替えて立派になる。幕は猩猩緋に波を…
文政11年。4月17日、雨天のため祭礼は18日になり、無事終了する。この日は見物場所へ殿が現れるのが遅れたのであれやこれや遅れてしまい、帰りの車を御還御門まで5両引きだすと暗くなってしまい、車4両ほどを真っ暗な中で高揚(高揚提灯?)だけで…
文政11年。2月14日夕からしきりと激しい雨と風で、雷鳴もたびたびある。同18日早朝から埃のようなものが空から降る。それは霧などに似ている。半町(1町は約100メートル)先の人の顔を見分けられず。19日夜になって段々おさまる。この日の暴風…
文政11年。2月3日から飛保曼荼羅寺において当麻曼荼羅を開帳する。霊宝などの弘通は57日間のところ3月28日から□□6日の間延長する。かつまた迎講会(むかえこうえ)の儀式・法事が3月15日から27日の間執り行われる。参詣の人が多いと。八事山…
文政10年。11月6日、福井検校が熱田の御神前回廊東の方で平曲を奉納する。申之刻(午後3時)に始まり、同下刻(午後4時半)に終わる。奉納平曲 延喜聖代 琴曲四季源氏、琵琶銘 雲龍。11月7日、住田町で大工夫婦を斬った者がいる。この者はほうろく…
文政10年。10月22日、東寺町法輪寺で鐘供養が行われる。これは元来のように新たに金を鋳替する際の鐘供養ではなく、鐘楼を再建した供養である。その規式は鐘供養と同様に行う。行列は見たまま次に記す。音楽僧5人、大工棟梁等大紋児7人、女児天人の…
文政10年。小田井祭(御鍬祭)中止の一件。この趣向ははなはだ華美であり、猩猩緋・天鵞絨(ビロード)全てが綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)で着飾り、はなはだ評判にもなっていたので地方(じかた)の役所から差し止められてしまい、当日は村方だけで祭…
文政10年。今年、御鍬祭ということが尾州一円で流行する。これは61年ごとに伊勢太神宮の御山に鍬の形の枝が生える。61年前も尾州村々でこの枝を受け取って祭り、神輿を作って祭を行った。領内で祭が行われ、8月頃から始まり、獅子神楽などを行い、餅…
文政10年。町の芸子の中にまたまたちょっと叱られた者がある。6月頃、広小路夜店で人を叩く者がいると噂していたところ、7月25日に御書院番と御本丸番の二男の両人の行いが良くないと差扣(謹慎)を仰せ付けられることがあり、この者たちの仕業だと噂…
文政10年。7月10日夜、大雨の中、熱田八剣宮前松岡上総の家と借家が焼失する。借家は上総扣門(脇門)前にある。神職の家でありながら、火の不始末があったと噂する。銀札を作ったことで永らく番を附けられた寄合組六十五俵原常九郎に流罪を仰せ付けら…
文政10年。飴屋町御黒門組某は仲間に憎まれており、去年初幟の際に金を惜しんだので、その後寝ているところを湯かんされ、髪を剃って葬式の真似をされる。その者は無念に思い、伝手をつかってそのことを報告すると張本人2人は浮人(浪人)となり、残りは…
文政10年。3月、大須五重塔がおおよそ出来上がり、この時講仲間の会所を南側に引く。この跡地に稲八という茶屋店が出来、山門の外から通れるようにする。これにつき、諸先生の碑も西南に引く。4月1日、七寺弁天再建の棟上げを行う。4月4日、名古屋あ…
文政10年。3月7日から4月8日まで、木ケ崎長母寺で見性寺薬師如来を開帳する。20日まで延長する。3月10日から27日の間、新町大光寺で身延山を開帳し、大繁盛となる。3月上旬、住吉町酒屋の小僧が酒室の中で室が崩れて死んでしまう。2月中旬、…
文政10年。2月23日、矢田河原で大御番組の勢揃が行われる。二番組は奥田主馬組50騎。2月25日夜、大きな雷がある。この日、知多郡鍵屋村は雷が落ちてかなり焼失する。2月26日、小さな雷がある。また通り物(流星)もある。同28日暁、大きな雷…
文政10年。広小路仮茶屋の鮎の形の砂糖入りの菓子を売る店で四角い水船を出し、長良川のようにする。鵜船や人形もあり、舟は2、3艘で、その細工も素晴らしい。後ろには岩山の張り子があり、景色も素晴らしい。夜は火を灯す。小田井祭鞍馬の山車の大幕が…
文政10年。3月3日、一ノ宮の祭が13日になる。14日、馬の塔ダンジリ(山車)が巡行する。同21日、大須の霊宝天拝弘法大師影像、宝物をこの度初めて開帳する。25日、天満宮で神楽が行われる。京町の車が出る。高欄、衣装が替わる。島田町警固の関…
文政10年。文政10丁亥年元旦、晴天になる。5日から少し雨が降る。大須の塔は九輪(くりん)を上げ、上は仮囲いをとる。広小路へ飴細工の上手な者がいつも現れる。色々な細工をし、鬮で取らせる。岩塚村吉田氏所持の古刀が大きな音をたてて動く。調べる…
文政7年。らくた(らくだ)櫛が流行る。木で作られている。その形は斯くの如し。(図略)上の部分は角ばっている。小さい櫛である。巾下新道で人を斧で殺して自分は首を吊り、女房は召し捕らえられる。熱田誓願寺で自害した者がある。8月4日夜明け前、巾…
文政7年。3月□(ママ)日から4月1日まで、藤島村堅林寺で観音を開帳する。同10日まで桜誓願寺で部田祐福寺の小三尊を開帳する。24日から児之宮(児子宮)で流行病のはやて(疫痢)、はしかの祈祷修行を行う。4月14日、風が強く、若宮八幡宮の大鳥…
文政7年。(図略)一 △印に死んでいた坊主鉄弥は世間では栄竹という異名を名乗る。傍らに1尺(1尺は約30センチ)5、6寸(1寸は約3センチ)の脇差がある。木瓜の鍔で鞘は焼けてしまう。一 尼鉄浄は▽△(これが上下にくっ付いている)の印のところ。□…
文政7年。10月19日夜五時(午後8時)から翌20日夜まで雪が降り続く。凡そ雪は3尺(1尺は約30センチ)積もる。さほどの寒さでもなし。11月9日夜、堀川聖運寺前で船頭が殴り合い、半死半生となる。12月1日、高野孫兵衛中間が銀札を作って捕…