名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-10-26から1日間の記事一覧

やはり規模が違う

宝永2年5月29日。泰心院様の法事が始まる。一昨日に廻文が2通ある。法事のことと物静かにするようにと。辰刻(午前7時)に始まる。名代は志水甲斐守。出僧は172人、他に行者が1人。下行、布施、入仏事など。壬午と同じなので略す。(後略)

今の熊の出没のようだな

宝永2年5月26日。近頃、熱田亀井道場に妖物が現れる。屋根の上を通り、かなり揺れたが、被害ないと。大きな犬を食い殺したと。

法事があれば恩赦です

宝永2年5月23日。行赦が2人あり、立ち返った者たち。

浅野家に嫁がれた姫

宝永2年5月22日。この日から相応寺において馨香院(光友三女)様の23回忌の法事が行われる。出僧は40人。(後略)

屋根は大丈夫

宝永2年5月21日。松平薩摩守息女が近衛大納言に嫁がれるため熱田に泊られ、京へ向かわれる。江州土山代官の屋根の上に千度祓の大麻箱が降る。

太平の世だから勤められのかも

宝永2年5月18日。屋敷奉行手代本締井上藤右衛門は36年つつがなく勤め、その上本締帳役を勤めることがお耳に入り、褒美として銀子2枚が下される。

長屋だから何人も焼け出されたはず

宝永2年5月17日。亥半刻(午後10時)、渥美源兵衛の長屋が焼失する。馬廻小頭で三つ蔵筋西側に住む。

本当に日本は昔から自殺が多い

宝永2年5月16日。未(午後1時)過ぎ、近江守組鈴木左近右衛門が乱心して自殺する。200石鍛冶屋町下、広小路から南西側。

やはり生きられないか

宝永2年5月13日。近頃、大久保屋敷、出雲守(松平義昌)様の隣、川内伝次郎書物奉行の猫が子を産む。頭が2つで眼は3つ、足は6本で尾は2本の灰色の毛。生まれるとすぐに死んでしまう。

冷静な殺人犯

宝永2年5月12日。巳半刻(午前10時)、五十人目付山崎源兵衛・平岩弥五左衛門がやって来て、小野右衛門の死骸を検視する。その後、内膳家来がやって来て死骸を見る。内膳のところの者であったので、他へは見せるなと言う。その後、内膳から礼使として冨…

何でもべらべらしゃべると目を付けられる

宝永2年5月11日。夕暮れ過ぎ、加藤権四郎門外の東寄りで歩行の者らしき男が切られて殺されていた。文左衛門はすぐに出かけて、この死体を見る。左の耳を切り、首から袈裟に胸の骨まで切りつけてあった。後ろの左肩はとても深い疵であったと。この疵は後…

後悔しても仕方ない

宝永2年5月10日。米13石を理左衛門に売払う。1両で1石1升。今年春に売払っていれば1両で8斗ぐらいであった。

人の迷惑を考えたら

宝永2年5月9日。辰(午前7時)過ぎから文左衛門は源太左・瀬左・友弥・加兵・曽右とともに松軒屋敷へ出かけ、石曳きを見物する。それからいかつ(伊勝)山宗寿のところへ道中酒や食事をとりながら出かける。宗寿は外出中だったが、飯などを炊かせて休憩…

また趣味の釣りですか

宝永2年5月6日。巳半(午前10時)過ぎから文左衛門は源左と味鏡(鋺)へ出かける。酒などを給わり、はへ(鮠か?)を30ばかり釣る。夕暮れに帰る。

女房の話が本当なら知能犯

宝永2年5月5日。昼頃、巾下米屋平七のところへ酒手代1人がやって来たので酒を出してもてなす。しばらくすると巾下の医者青木伯元がやって来て手代と仲良くなり、一緒に酒を飲む。伯元は盃を手代に渡すが、手代はこれを断るとはなはだ無理強いをする。ま…

笑い話のような話です

宝永2年5月2日。近頃、名古屋松屋町ふと物屋(服屋)の甥が隣の子を連れてきて、参宮するから金2分を貸してくれと言った。相手にせずに叱りつけると子どもは立腹し、それならば損をさせてやると持った柄杓で溝の泥をすくい、木綿棚へとかけた。そうこう…

宝永2年5月の天気です

宝永2年5月1日。曇。巳(午前9時)過ぎから薄曇り。時に日の光が差す。宝永2年5月2日。晴。宝永2年5月6日。未(午後1時)前後、少し雨が降って止む。宝永2年5月7日。曇。宝永2年5月8日。晴。宝永2年5月10日。曇。時に少し雨が降る。宝…