名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

何でもべらべらしゃべると目を付けられる

宝永2年5月11日。
夕暮れ過ぎ、加藤権四郎門外の東寄りで歩行の者らしき男が切られて殺されていた。
文左衛門はすぐに出かけて、この死体を見る。
左の耳を切り、首から袈裟に胸の骨まで切りつけてあった。
後ろの左肩はとても深い疵であったと。
この疵は後に取置いた際に見る。
疵は以上の2ヶ所。
脇差は鞘とともに脇にあった。
刀はさしたままであった。
麻袴・嶋帷子・一重羽織小紋で成瀬内膳の歩行の者であり、宮部小野右衛門と。
年31の者であった。
相手は同朋の輩比恵野竜左衛門という者であり、立ち退く。
この事件の前、2人に争いごとがあったが既に仲直りしていた。
しかし、いまだわだかまりは消えておらず、こうなってしまう。
竜左衛門は当番で夕暮れに屋敷を出ており、小野右衛門は非番であった。
50年ばかり前の年末、今の相原与次右衛門屋敷に後に彦左衛門と名乗る鈴木次左衛門いう者がいた。
ここで60ばかりの中間が切り殺されていた。
この者は切米2分を借りたと人に自慢していた。
そのため切って金を盗もうとしたのか。
しかし、この金を懐に深くいれていたので取ることができなくて去ったと。
それよりまだ1,2年前に今の荒川安太夫の構内で若党1人が切り殺されていた。
雪が降った時に。