名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-11-24から1日間の記事一覧

高須からこのルートで名古屋へ向かったんですね

宝永3年3月28日。津候(松平義行)が高須を発駕される。甚目寺通りから日比津へ向かい、納屋橋から天王崎を通り、性高院に立ち寄る。松寿院様牌前に参詣し、ついでに薩摩様牌を拝礼する。蕎麦切が出される。それから東輪寺へ寄られ、蕎麦切が出される。…

完成です

宝永3年3月26日。熱田西門の葺き替えがこの日出来上がる。丹塗(社寺建築の赤い塗料)、金物を磨く。

口達者は才能ですね

宝永3年3月25日。平尾伴太夫は申し開きができて許され、前のとおり扶持方を下される。しかし少し前、伴太夫の女房を呼び寄せて詮議があった。諸士の女房を揚屋へ呼ぶのは初めてのことであった。役人は問いかけた。美しい服を着用し、時には僕も連れずに…

コネって恐ろしいなあ

宝永3年3月23日。都筑元右衛門が江(ママ)天遊の娘である妻を離別する。元右衛門の母は智光院家来鬼頭円右衛門という若者と密通しており、いろいろなことがあった。嫁のことを憎み、元右衛門をもいたぶり、そのため元右衛門はまるで病気のようであった…

皆をだまして参宮するふりをしたのか

宝永3年3月21日。今年春、千賀志摩組水主守見(モリミ)三左衛門の子で17歳になる七三郎が船に同船して江戸へ向かった。2月14日、公が八町堀の屋敷に入られ、七三郎の歌を聞いて気に入り、連れ帰られて禄を賜う。今月14日に13石を下される。小…

これも接待ですね

宝永3年3月16日。伏見殿の姫君が熱田の御殿に泊まられる。申刻(午後3時)に到着される。馳走は大久保惣右衛門で、佐屋まで送られる。船長屋六左衛門が出向く。

12日の浪人牧野にからんでか

宝永3年3月15日。町中に諸士家来で浪人がいるようならば申し出るようにと。牧野の例からのこと。

また酔っての醜態

宝永3年3月12日。昨11日の夜戌(午後7時)、長久寺筋熊井十次郎屋敷向かいの新屋敷の塀際水道で近江守中間1人が切り殺されていた。同僚4人でかやや(萱屋)町の宿で集まって酒を飲み、大声で騒いだので亭主がなだめて帰る途中で口論となりこの如く…

文左衛門、京都へ出張です

宝永3年3月11日。寅刻(午前3時)前、文左衛門は尾張を出発し、京へ向かう。佐屋まで駕籠で430文。法界門のあたりで夜が明ける。

急いでの恩賞

宝永3年3月4日。性高院三品前羽林中郎将憲瑩玄伯公の法事が行われる。大雄山正覚寺性高院で仰せ付けられる。寺社奉行が出かけ、名代はなし。白銀50枚を法事料として下される。上人は13人、方丈ども出僧は40人。薩摩様衆の子孫は自由に参詣してよい…

宝永3年3月の天気です

宝永3年3月2日。雨が降るが、未(午後1時)過ぎに止む。その後、晴れる。宝永3年3月3日。辰(午前7時)頃少し雨が降って止む。その後、晴れる。宝永3年3月5日。日が暮れて雨が降る。稲妻・雷鳴が数度。そのうちひとつは地を揺らす。しばらくして…