名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

皆をだまして参宮するふりをしたのか

宝永3年3月21日。
今年春、千賀志摩組水主守見(モリミ)三左衛門の子で17歳になる七三郎が船に同船して江戸へ向かった。
2月14日、公が八町堀の屋敷に入られ、七三郎の歌を聞いて気に入り、連れ帰られて禄を賜う。
今月14日に13石を下される。
小納戸物書並にと仰せ付けられる。
少し色気もあり、声よく歌を歌うと。
この日、黄檗東輪寺監守(カンス)天鱗が領内一派の由緒書を寺社奉行に差し出す。
領内に6ヶ寺、その中に東輪寺もある。
庵が6ヶ所、あちこちの借宅の僧が6人。
東輪寺のほかには全て触れが回らなくなるため、東輪寺が全て支配することとなる。
不法のことを正す様子と云々。
今月17日、勢州六軒茶屋のあたりで名古屋橘町たんす屋長右衛門が駕籠舁きの雲助と口論になり一太刀切りつけたと云々。
駕籠舁きや村の者から後日難癖をつけられないよう手形を出させ、傷は誤ってついたと帰ってから町奉行に報告していた。
何事もなかったようにそれで済ませていた。
駕籠代を50文と約束したのに60文と雲介が吹っ掛けたことが原因と。
そのため3日間逗留していた。
あるいは長右衛門の父親の喪が明けていないので穢れており参宮できなかった。
それでは途中から戻るだけでなく、大損をこうむってしまう。
その上、町も迷惑と。